1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

情熱を傾けるものは、好きなものの方が良い

 

 

飲みの場で人から聞いたことが心に残っていることが多い。

というか、ほとんどがそれだ。

 

 

 

 

どんだけ飲み歩いているのか、という話がまずあるが、ともかくだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情熱を傾けるものは、好きなものの方が良いよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

とある先輩に、そう言われたとき、

何か心にすっと入ってこない感覚があった。

 

 

それが何か、そのあと考えてみたのだが答えはすぐにでた。

 

 

 

 

 

そもそも、好きなものにしか情熱を傾けないのだ。ふつうは。

 

 

 

 

 

 

 

兄さん、思ったんですけど

この前の話、ぼく、ふつうね、好きなものにしか没頭して情熱を注がないんと思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだよな。ふつうは。

 

 

違うひとっているんですか?

 

 

俺は、どちらかというとそうかなー。

 

 

どういうことですか、それって

 

 

 

たぶん、お前もそうだよ。

 

 

まじすか

 

 

まじだよ

 

 

うそだあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曰く、

 

 

 

 

 

がんばれるというのは、才能らしい。

損でもあるとそのひとは笑っていたが、そうらしい。

 

 

好きでもないことにも頑張れてしまうかららしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きなものとは、そもそもなんなんだろう。

2つあると思っていて、根源的な好き、これは先天的なものである。物心ついたときには好きだったもの。

ぼくでいうと、カレー、LEGO、音楽などである。これらはなぜ好きかどうか、分からない。考えることすら、野暮である。

 

 

 

もうひとつは、後天的なものである。何かがきっかけで好きになったことや、ものである。

デザインが、まさにこれに当たる。

 

 

 

 

 

どちらが良い悪いの話ではないが、よくよく考えてみると、ぼくが今好きだと思っているものは、後者が多いように感じる。

 

 

 

 

 

 

 

何がきっかけで好きになるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やってたら好きになるんだよ

 

そういうもんだよ

 

 

そういうものって、逃げられない、やらないといけないタイミングがきっとあったはずで

そのときにやめたり逃げずにやったことなんだよ

 

 

じゃないと元々好きじゃなかったとこなんて

好きになるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにか急に訥々とした声色でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かあったんすか笑

 

 

なんもねーよ

・・・うそ、今超忙しい

 

 

なるほど、言い聞かせてると。

 

 

じゃないとさあ。ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きなことやったほうが良い。

 

 

 

これは本当に正論だ。

情熱を傾けるなら、好きなことであることに越したことはない。

でも、それができる人間は一握りだと思う。

夢破れて、とか、目の前の生きるという問題に必死で、とか、いろんなことがあって

一点突破で突き進める人間は限りなく少ないと思う。

 

 

 

 

 

だからひとは、目の前のことを好きになる。

一旦好きになってみる。そこからはじめる。

 

 

 

 

 

 

根源的に好きなことはある。

それを仕事にすることは最近の流行りでもある。

 

 

 

 

 

 

「お金の心配とか何も無かったら、何したい?」

「それが本当に好きなことだよ」

 

 

 

 

 

 

腐るほど聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

分かっている。

わざわざ再認識させられなくとも、そんなことはとっくに分かっている。

 

 

できれば「折り合い」なんて付けずに生きていたい。

 

 

でもそうしなきゃ生きていけないタイミングを経て、

ほんとうはそんなこと思っていないのに、大人になった、と負け惜しみを言って笑うのだ。

 

 

 

 

 

好きになる。ということは

ぼくは個人的には格好良いことだと思う。

 

 

 

それすらも、言い訳なのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを守るために、じぶんを一度滅却して、何かを好きになる。

何度も何度も、じぶんが出てくるのを抑える。

じぶんが出てきてしまうと、好きが強いほど、たぶん死にたくなる。

 

 

 

いくつかのそういう機会を越えたときに

目の前のそれを好きだと思えているじぶんがいる。

 

 

 

そうして後天的に得た好きは、けっこう強い。

 

なぜなら、好きなだけじゃなく、いつの間にか技にまで昇華されているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きでいうと、

 

 

 

好きの程度にはグレーだってあったほうが良いとも思う。

 

 

好き!とか嫌い!とか、そういう、真夏のピーカン晴れイェイみたいな

0か100だけじゃなくて良いのだ。

 

 

 

 

 

好きなんだよね、

そういう「しみじみ」があったって良い。

 

 

 

 

音楽が好き、にだって一口に言ったときにも色々ある。

 

 

 

 

音が好き。詞が好き。

歌うのが好き。弾くのが好き。

聞くのが好き。つくるのが好き。

人に聞かせるのが好き。良い音で聞くのが好き。

 

 

 

 

バンドをやっていた親父は、制作会社の音楽部門に行った。

 

大変ながら、楽しそうに働いている。

 

家で良く、ギターを弾いていた。

 

 

 

 

きっとどちらも、好きなんだろう。

でも最初はきっと、時間があればギターの方を弾いていたかったんじゃあなかろうか。

 

 

それをぐっと堪えて、たぶん親父は働いたんだろうと察する。

 

 

 

 

そうするなかで、きっと楽しみをひとつずつ見つけていって

いつの間にか「好き」になったんだと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それもまた、音楽で食ってる、と胸を張って言える立派なことなんじゃなかろうか。

 

 

 

 

折り合い、それを大人とわざわざ格好つけてしまうと

それもなんだかなあという感じなのだが、

 

 

 

白黒ハッキリつけて、好きなことだけやろうというのも、

それこそなんだかダサいというか、そう思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに、

 

好きなものは、大概の場合ひとつじゃない。

 

 

例えばそれがふたつあって、天秤にそれをかけた時に

どちらか一方が理由で、どちらか一方を捨てて、突き進むとする。

 

 

で、選ばなかった方の、諦めた好きなことが、

ずっと自分の中で、何か、つっかえている気持ち悪さがあるときがある。

 

 

 

バンドマンが彼女を選んでサラリーマンになる、あれである。

 

彼女は嬉しくもありつつ、「それでいいの?」と聞く。

 

それでいいわけないのだ。

 

けれど、それでいいのだ。

それ「が」なのか「で」なのかわからないが、よい、と決めたことなのだから。

 

 

とやかく確認するのは野暮である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話がなんだかあっちこっちにいってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかくも、

 

 

情熱を傾けるものは、好きなものの方が良い。

 

 

 

 

それはもちろんなのだが、

 

 

 

 

 

情熱を傾ければ、好きなものになる。

 

 

 

 

ぼくにはその方がしっくりくる気がする。

 

 

 

 

 

 

どうなんだろう。

 

 

 

みなさん、どうですかね。

 

 

 

 

言い訳なんですかね。はは。