1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

手を伸ばせば届きそうな空だった

 

 

 

 

 

おはよう~

 

気怠そうな声が背中の向こうから聞こえて目が覚めた。

 

あのひとが来たってことはもうそんな時間か。

まだ太陽の光を受け止めきれずにいる目を無理やり開いて顔を向ける。

 

 

あ、おはようございます、今日も早いっすね

 

おはよう~

何、今日も朝までやったの?

 

はい、終わらないんで

 

メリハリ大事だよ、メリハリ

 

メリハリのメリってなんなんですかね

 

あんたよく起きてすぐそんなこと考えるよね

 

だって寝たのさっきですもん

 

どういうこと?

 

分かりません

 

はい、珈琲。と、レッドブル

 

ありがとうございます、助かります、後者

 

前者は?

 

前者も、特に後者

 

 

 

 

おは4を合図に仮眠をとる。

来た人に起こしてもらって1日が始まる。

そんな生活いやだ。といって社会人になりたての頃は敬遠していた生活ももう慣れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事上がり、お世話になっている同業の先輩と銭湯に行った。

 

 

 

 

 

俺も、お前と同じだよ、てこの前言ったじゃん

 

ひねり出さないといけない、いつまでたっても

 

でも、それでしか得られないものがある

 

それを目指して俺も毎日やってる、でもそれって良いじゃん

 

 

 

 

 

 

 

確かに、超えた日があった。

 

実力が上がっていたのかも正直分からない。たぶんそれは幻想だ。

でも、あれだけやった、ということはそれだけで大きな自信になる。

自信は、説得力になる。説得力は、実力になる。

 

と、するならば。

誰もいない中PCと向き合う深夜に、

なぜか流れてくる涙の虚しい味。なぜか漏れてきて止められない笑み。

あの夜にいくら考えても出てこなかった答えを求めて彷徨うこの夜は

あそこにきっとつながっていると、信じても良いんじゃないか。

 

信じて迎える明日の朝に、これでいこうと、そう思える一片の変化がそこにもしあるのであれば。

文字通り歯を食いしばってひねり出すクソみたいな一案は、決して無駄じゃないんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

先輩は、そう伝えたかったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休みの日も、何かヒントはないかと足を動かす。

焦りが毎日襲ってくる。

 

まだ若いんだから何でもできる。と言う人もいる。

もう周回遅れだよ。そういう人もいる。

 

どっちも正しい。

でも、どっちかというと後者のほうが、ぼくは思うところがある。

 

これから迎える30代で、先の夜を越えてでも、自分に誇れるものがなければ

それは、どんなにか寂しいものだろうか。

40を迎えたときにもしそれが無かったら、死んだほうがマシだ。

 

 

焦りを消してくれるのは、自信でしかない。

自信をくれるのは、結果でしかない。結果を出すためには、今頑張るしかない。

 

 

 

 

それを知っている先輩は、いつもこう言う。

 

「もっと頑張れよ、見てるから」

 

尊敬するその人のその言葉は、何よりも重い。

 

 

 

 

 

 

 

友人たちもこの年になると、人生の節目を迎えている。

結婚、出産、マイホーム。

転職、企業、独立。

形は様々だが、踏み出す時期なんだろう、この30前の数年は。

 

羨ましいとか、そういうわけじゃない。

ぼくもそれなりに結婚は早かったし、離婚しているし、独立も少々早めで、急ぎ足で人生が動いている側だと思う。

 

でも、酒を飲んで語らった帰り、家まで2時間かけて歩いて帰った。

冬の冷たい夜の風に吹かれなければ、やり切れなかった。

 

ぼくに誇れるものはあるのだろうか。

あいつは、ぼくの何歩先を言っているんだろう。

 

ぼくはなんだ。

ぼくにあるものはなんだろう。

分からない。

この差はなんなんだろう。差、ではないのかもしれない。でもこの違いはなんなんだろう。

素直に彼らの栄転や家族の報告は嬉しい。心から祝っているはずなのに、自分の心のざわつきを抑えられない。

 

涙が溢れてはこぼれていった。

何しているんだろう、自分は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢中で仕事と向き合う。

今までにない規模の仕事。ふつうに生きていたら出会うはずのない出会い。

自分は何者だ。その問いが見えるんじゃないか。

一昨日も見えない。昨日も見えない。でも、今日見えてくるかもしれない。明日、見えるかもしれない。1年後。10年後。

そんな一縷の望みのためだけに、寝ずにとにかく考える。この仕事で、やれた、ということをとにかく増やす。

明日やろう。いや、今日やる。明日はその先のことをやる。

私がやるよ。いや、ぼくがやります。そしたらことが進んで、もっとやらせてもらえることが増えるかもしれない。

 

明日死ぬかもしれない。そんなもう誰も本気で思ってやしないだろう聞き飽きたアツいセリフを今ぼくは本気で心配している。

もう今日死んでも良いと思っているか。それだけやったか。そんなことは、死んでも思えない。

絶対後悔する。心配で寝られない。だから寝ずにやる。

 

 

 

その一言を捻り出す。あらゆる人にとっての拠り所となる言葉を、名前を、空間を、全てをつくりだす。

そのために今できることを、今すべてやる毎日でしか、得られないものがきっとある。

がんばってなんかいない。まだゲンコツが握れるならば、それはまだやれるということ。

悔しくて泣けるっていうのは、まだ体力が残っているということ。

その最後のひと押しが、変え難い、確固たる何かにつながることは、たいせつなものを失った辛さが物語っている。

だからこそ、また同じだけの自信を得ることは相当に難しいことも知っている。

 

 

誇れるもののない、恥ずかしさみたいなものは、死にたいと思うのには充分な理由だ。

消えてしまいたい。それは、生きる活力だ。何にも変えられない、強力な燃料だ。

 

 

 

 

 

みんなお前に言うじゃんか、寝ろって

 

はい

 

でも、俺は敢えて言わないよ、もっとがんばれ

 

はい、ありがとうございます

 

がんばれよ

 

 

 

 

 

 

 

夢なんてものは、手元になくちゃ意味がないのだ。

 

 

そこにあると思えるから、追いかけられる。

夢を思い描き続けるということは、とても大切だと思う。

 

 

眠たいというよりも、もはや気怠い、気持ち悪い。そんな中で重い瞼をこじ開け、窓から見えてくる早朝の空。

 

 

 

手を伸ばせば、届きそうだ。

太陽が近い。

冬。澄んだ空気。

 

届いているんじゃないか。

起きてみたら、変わっている自分がいるんじゃなかろうか。

 

そんな幻想が、毎日、空を、太陽を近く見せる。

徐々に明るさに慣れて明確になってきた視界から、ぎゅんと世界は唐突に遠ざかっていく。

 

 

また昨日と変わらない、遠い世界が眼前に広がる。

 

 

 

 

翼を授けてくれ。

そう思いながら寝起き一番にすがる思いでそれを口に流し込む。

顔を冷水で洗う。メガネをかける。色々な意味で、世界が鮮明になる。

 

どうしようもない不安を忘れるように、PCを開いて昨日の自分の続きを今日もやり続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事はどうですの

 

 

先輩がPC越しに声を掛けてきた。この声色、たぶんニヤニヤしている。

 

 

見ての通りっす

 

 

そっか、絶好調だ

 

 

え、なんでそうなるんですの

 

 

越え時だな、倒れるまでやってみろよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある意味シンプルな生き方なのかもしれない。

 

ぶっ倒れるまでやってみる。

それでだめだったら、もう死んでも良い。

そのらいの生き方をしているか。

 

ぼくが自信を持てるとしたら、きっとそのときなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの太陽の気怠い眩しさも痛い腰も、もはや味もしないレッドブルも、

あの帰り道の風の刺すような冷たさも、銭湯で汗と一緒に流れた涙も。

 

ぜんぶ、すべてはそのためなのである。