1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

ほんとうに、それだけか。

 

 

デザインというしごとについて、よく考える。

 

 

 

ぼくは、どんなことで飯を食っているのか。

 

 

 

特段、何かを後世に残したい、とか

そういった大きなことは考えていない。

 

 

 

それでも、誰かに何かを提供することでたぶん、ぼくは多少は飯を食えている。

 

 

 

 

 

考え出すと止まらないくせがあって

 

 

ときどきこうやって外に出していかないと

ほんとうに今、考えるべきことがおざなりになってしまいそうなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デザイナーのやっているしごとって、なんなんだろう。

ここをしっかりと捉えられているひとは、どのくらいいるんだろう。

 

 

 

 

 

 

デザインというのは、特に制作物ありきの職業だと、根本思う。

 

 

 

ただ、その「制作物」を、どこまでと定義しているのか。

 

各々のデザイナーのその考え方について、最近とっても気になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近「名刺をデザインする」おしごとがあった。

 

 

基本的に、まずはヒアリングを行い、

どんな情報を盛り込んで、どんなデザインにするか話し合い、

まとめ、提案を行い、修正を何回か重ねたのち、納品する。

 

 

 

ぼくが気にしているのは、その際に、

「どこまで相手と語れるか」ということだ。

デザインの「良し悪し」は、そこで9割が決まると思っている。

 

 

 

 

カッコいいデザインにすることはカンタンだ。

そんなものは今の時代、参考にすべきもので溢れている。

デザインというのは、だいたいが既存のものの組み合わせだ。

 

 

一般的な「良いデザイン」の定義それ自体が、

もはや、やもすれば「良いもの」ではないのかもしれない。

そんなこともけっこう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんななかで、

 

「名刺をデザインする。」

 

この行為が含んでいることは何か。

 

 

 

 

 

 

デザインがカッコいいこと。

情報が漏れなく含まれていること。

 

 

 

 

 

ほんとうにそれだけか。

 

 

 

 

 

 

もう少し踏み込んで、個人の、組織の理念の要素が盛り込まれていること。

 

 

 

 

 

ほんとうにそれでイナフなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名刺の存在意義ってなんなのか。

 

 

 

 

 

名刺って、

そのひとの分身ともいうべき、大切なものなんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

その名刺を見て、

そのひとの「人となり」を、しごとに対する「情熱」を、

しごとを通して実現したい「世界」を、その先にある「希望」を感じること。

 

 

それが、名刺の意味なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、名刺って、見るだけなのか。

触ることでも、感じられるものがきっとある。と、思う。

 

 

 

 

 

そして、その名刺を渡す本人の感情。

名刺を渡すときに、その名刺をあらゆる面で自信を持って渡せること。

しごとに対する思い、それが込められた名刺に心から誇りを持てること。

 

 

 

 

ぼくは、ひとつの「名刺をデザインする」という行為の中に、ここまで含みたい。

 

 

 

 

 

 

たぶん、名刺が背負っているものって、とても重い。

名刺だけじゃない。

 

 

 

デザイナーが扱うすべての制作物が背負っている責任は

本来、とてつもなく重い。はずである。

 

 

 

 

 

 

 

そこを、考えられているデザイナーは、どれだけいるんだろう。

 

 

 

 

思いを形にするという「重さ」、その本当の「重さ」を感じ、

その上で楽しめているデザイナーは、どれだけいるんだろう。

 

 

 

 

 

どこかで見たことのあるストックから、オシャレっぽいものを引っ張り出して

PCばかりいじっているようでは、ぼくはだめだと思う。

 

 

 

ひとの働き方とか、とやかく言うつもりはないが、

「ひとの思い」を「じぶんの好き」に落とし込んで制作物を示す

自分勝手なデザイナーによく遭遇する。

 

 

それではオペレーターだと、ぼくは思う。

どこかで見て「なんとなく良い」と思った誰かのデザインを再現しているだけなのでは。

 

 

 

やるべきことは、見た目ではない。

もっと奥底の、深い部分で、デザイナーは悩まなくちゃいけないんだと思う。

 

 

 

 

 

修正回数何回まで。

よくこういう契約の仕方もあるが、

基本的にそんな仕事は請けない。

 

 

 

修正回数は何回でも良い。

その代わり、タイマンでガッツリ決裁者と話したい。

 

 

一緒に、この制作物で伝えたいことを心底考えたい。

 

 

デザインは、本来そこからはじまるものだと

ぼくはそう定義している。

 

 

 

しごとのうち、PCを触るのは最後の1割くらいだ。

 

考えること。それがしごとだと思っている。

 

 

 

 

その、名刺においても、通常ではたぶんありえない回数の修正をした。

でも、クライアントの方は、近しい人も含め、

じぶんがしごとで何を実現していきたいのか

この名刺から、何を感じて欲しいのか

といったことを、心底考えてくれた。

 

まさに、今回の仕事で、ぼくが意図したことを感じてくれたと思っている。

名刺の見た目のデザインなんてものは、デザインというしごとのほんの一部だ。

 

 

 

 

これからどういう姿勢でしごとをしていくべきなのか

あのひとは、この名刺を見るたびに、きっと思う。

 

 

 

 

そうして渡す名刺には、思いがこもっている。

きっと、渡す姿勢も、表情も、変わってくる。

 

 

 

 

 

 

デザインにやれるこ、やるべきことは、こういうことなんだと思う。

制作物がうまれるまでの過程で、デザインすべきことがたくさんあるはずだ。

 

 

 

そこを怠ったデザインは、ただの消費物だ。

一瞬ひとの心に刺さったとしても、残らない。

 

 

ぼくは、そんなものをつくるデザイナーにはなりたくない。

生み出すものすべてに誇りを持っていたい。

 

 

人生が変わる、と言っては大げさかもしれないが、

人生の棚卸し、これから踏み出す一歩、様々な場面に寄り添う

制作物をつくっていられていることに大きな幸せを感じている。

 

 

 

 

 

暑苦しい、めんどくさい性格である。

もうちょっと、気の抜けた性分でありたかったものである。

 

 

 

でも、こう生まれてしまったので仕方ない。

もうしばらく、お付き合いいただきたい。じぶんよ。