ツギハギ
あんたはさ、カッコつけちゃったんだよ、カッコつけてだれも頼らずに頑張っちゃったのよ、良い旦那をやり切ろうとしちゃったのよ、もっとジタバタしなさい、それで良いの
母の言葉に不覚にも泣いた。
世の中は良い人で溢れている。頑張れ、という人も、頑張ろう、という人も。頑張りすぎるな、という人も。
皆、それぞれの思い遣りだ。全ての言葉が有り難い。
そのタイミングで、自分に一番必要な言葉を拾い集めてぼくらは何とか生きている。気がする。
実家に顔を出した。
懐かしい最寄り駅からの道。
なぜか、いつ通っても懐かしい。確か最近も来たはずなのに。
じいさんに焼香を上げて挨拶を終え、テレビの前でぼうっとしている祖母に声を掛ける。
いつも通り、ぼくが来たことにそれまで気づかない。
ああ、いらっしゃい、気づかなかった
いや、今来たところだよ、ただいま
おかえり、ゆっくりしていきなさいね
父と母と話す。最近の話、これからの話。いつも同じだ。
散々迷惑をかけてきたので、何かあるたびに報告するようにしている。
ぼくの自己満足、罪滅ぼしに過ぎないのだが、親はそれも分かった上で、きっと聞いてくれている。
ボスの話、せわしない日々。
別れてからの気持ちの動き。踏み出す一歩。
まだ、気持ちの整理がついたようで、切り替えは難しい。論理ではない、抗えない感情。その話もできるだけ触れなければいけないときは話すようにしている。
そのときに声が震えている自分に気づく。何故か涙が溢れる。
それね、トラウマだよ
そう母も、泣きながら言った。
あんたはさ、カッコつけちゃったんだよ、カッコつけてだれも頼らずに頑張っちゃったのよ、
良い旦那をやり切ろうとしちゃったのよ、もっとジタバタしなさい、それで良いの
何がやりたいか、じっくり考えて、聞かせて
そう、仕事でお世話になっている尊敬する方は言ってくださった
何かつきものが落ちかけているような、そんな感覚はある。
背負いすぎていたんだろうね、そう母は言う。
充分好き勝手に生きていたと思っていたのだが、
とことん何かに没頭する面白さを今身に沁みて感じているのも事実だ。
名が知れた人になりたいと思う。
もっと稼ぎたいと思う。もっと良いものを食べて、良いものを着て生きていきたい。
この人の役に立ちたい。親に毎月何か贈りたい。良いもの食わせたい。
モテたい。たくさん働きたい。たくさん遊びたい。
10年。この期間で何者かになりたい。そうでなければ生きている意味がない。
人生は短い。寝る時間がもったいない。ずっと何か知識を浴びて成長していたい。
欲にまみれている自分って悪くないと思う。
斜に構えている自分が、惨めに見える瞬間があった。
自分燻っているなあ。自分で自分を抑えてしまっていた。
結婚が足枷になっていたなんて思いたくないが、そういうタイミングがあったのかもしれない。
女の好み狭そうだよね。
きれい好きでそれを相手にも求めそう。
そんなことを仲の良い女の友人に言われた。
今の自分は、という前提だが
口に入れるものは何でも良い。家の中もこだわりはない。どうでも良い。最低限の生活レベルがあれば良い。
仕事で昨日よりも何かができるようになりたい。自分よりもすごい人より働いていたい。でないと追いつけない。
でもそんな自分が、これからずっと続くとも思っていない。
それは悪いことじゃない。でも今自分にできることは、死ぬほどやっていたい。
矛盾を、以前よりも多く抱えて生きている。そしてそれを、解消せずに持ち続けている。それがまた、悪くないことだと思えている。
二日酔いが日常になると、その状態が当たり前になる。
今日顔色良いね、と仕事の先輩に声を掛けられた。そういうものである。
23時くらいは、まだ早い時間だと思っている。
まだ起きてるの?と友人に驚かれたわけだが、だいたい2時までは外で仕事をし、体力次第では3時からジムに行く。最近は専ら日の出を見ながら寝る日々だ。
人は慣れる生き物である、とするならば、試しもせずに持続可能な生き方に走るのは可能性を殺しているとしか思えない。眠いから寝るのではない。寝なくても大丈夫になったら、最強じゃなかろうか。…共感がないことは分かってるんだけど。
離婚したことに、少々触れたいと思っている。
これはとても大きいことだ。酒に逃げ続けてきた自分にとってはとてつもなく大きな変化だ。出会いを求めずにただ仕事と趣味に没頭しているだけなのだが、世の流れというのはおもしろいもので出会いが最近多い。疎遠になっていた知り合いからの連絡と、人の紹介が100%だ。
誰かと一緒になりたいとは思わないし、冷静に見た目だけで見れば元妻が断トツで優勝である。
ふとした拍子に画像のスクロールなどで写真が出てきて、寝ぼけていると「誰これ超かわいい」とついつい止まってみてしまう。元妻だと気付いて、そりゃそうだ、とひとりで納得している。だから何、というわけではない。これでも冷静に見ているつもりだから末期だ。
誰かのために働くことのやりがいもまた、とても良いことだと思うが、
自分のために働くということが、こんなにも楽しいものだと、この年になって初めて知った。それがとても嬉しい。
やりたいことをやっているとこんなに帰りたくなくなるものなのか、と初めて知った。
やりたいことをやっていると、こんなにも時間が経つのが早いのか。
やりたいことだけをやっているとこんなにも肌ツヤが良くなるものなのか。ここのところ良く言われるが、たぶんそこらへんの誰より睡眠時間は少ないし、酒も飲んでいるし、ラーメンも食べている。
明日死んでも良いと思えるだけ毎日頑張ることは、とても幸せなことだと思う。
いつまでこれが続くかなんてわからないが、そんなことを考えることすら無意味なくらいだ。
楽しい。これからもっと大変なことが続くと分かっていても、面白い、嬉しい。
それをもっと見たい。知りたい。やりたい。
帰りたくない。誰よりも間近でやっていたい。
早くできるようになりたい。明日やろう、なんてそんな時間はない。
苦しくなる。1日が短すぎる。もっと、もっと。
でもそれが楽しい。今日もがんばった。今日も俺クソだった。そう思える毎日がとても刺激的だ。こんなこと、これまで無かった。いや、あったんだと思うが、ここまでベクトルが自分に向くことはなかった。
デビッドボウイが言っていた。
自分のやることが「誰かのために」なんてことは絶対にありえない。
グサリと心に深々と刺さった言葉が、ずっと抜けずに残っている。
あまりに純度の高いその言葉を前に、ぼくは今何も言い抗えない。
実際早死にするかもしれないし、モノにならなかったらそれこそ悲劇なのかもしれない。
持続可能な生活がやっぱり大切なのかもしれないし、健康的な生活、この歳で送るべき生活というものがあるのかもしれない。それでも、今、自分のやっていることが正解だと、心から思う。
早死になのかどうかは、自分が決めることだ。
個人的にはもうだいぶ生きた気がしているし、いつ死んだってもう良いと思っている。妻一人幸せにできなかったのだ。
モノにならなかったら、という恐怖は誰よりも持っている。と同時に、それが無ければつまらない人生だとも思う。
持続可能かどうかは、今現在実験中だし、健康的な生活で言えば、昔良く寝ていたときよりも精神的に健康だ。
周りの人は大切だし、本当に尊敬している。
ぼくのようなクズとは違い、相手を幸せにできている人が多い。
でも、人と同じでなくても良いのだ。
スピード感ある人生を歩んで、スカッと死んで大切な人に笑ってもらえれば、それで良いのだと最近思う。
そこに集まる人が少しでも多ければ幸いである。40で死ぬとしたら、あと10年とちょっとだ。何が自分にできるのか。
あいつは面白いやつだった。それで晩酌が少し旨くなるような人になれれば本望である。
もう死んでも良いと思える経験があと10年でどれだけできるのか。
タトゥーを入れたい。
親にもらったこの身体、とはよく言うが、親にもらったこの生命、できる限り燃やしていたい。
前トゲ抜かれてんなって思いましたもん
またやっとトガッてきましたね、良かった
この前立て続けに後輩と飲んだのだが、まったく同じことをふたりに言われてハッとした。
礼儀を知らない後輩がとても好きだ。
休んじゃだめだ。アイディアが枯渇する。バカになる。アイディアが生まれる瞬間をどれだけ逃してしまうのか。
呆けてしまう。ただでさえ無い頭を振り絞ってあの人にほう、と言わせるにはあの人よりも考えるしか無いのだ。
どれだけそのことを考えられたかどうか。それは、長さではなく深さ。ずどん、と一気に深く潜れるか。
急には潜れない。日々の積み重ねが、それを可能にする。水の中に居続けること。水際で準備を怠らないこと。
走り続けなければ、考えは浮かんでこない。
頭がずっと宙に浮いている感覚。
このときはなんにも浮かんでこない。なぜそうなるかというと、休んだからだ。恐ろしい。
ゆったりとした空気が頭に入ってくると、途端にバカになる。どうにかならないものだろうか。
人との出会いに一喜一憂したくない。
嫌な自分が表に出てくることを抑えられない。
自分を抑えるのをやめた。言いたいように言って、やりたいようにやる。
それでも自分といてくれる人と一緒にいられれば良いのだ。
本当に良い人がたくさんいると思う。ぼくだったら、ぼくのことはとことん嫌いだ。こんなやつ。
雰囲気を出すのがうまいと言われた。
ぼくは根っからの人見知りだ。話すことがないから口元を隠す癖がある。
口の前で手を組むから、何かちょっとした雰囲気が出るんだと思う。
何のことはない、ただの人見知りだ。不安なのだ。
人と自分を比べない。それがメンタルヘルスの第一歩だ。
稼ぐに越したことはないとは思うが、稼がなくたって良い。
それよりも、なにかに向かって没頭する姿勢が大事だ。
これがぼくにとっては逃げだが、ひとりだから言えることだ。
こう考えるようになってから、気持ちが楽になった。
夜になるのが早い。怖い。
1日を無駄に過ごしてしまった、と思うことがたまらなく悔しい。
1分たりとも、1秒たりとも無駄にしたくない。好きな人と好きなことをする。それ以外何もしたくない。
怒れる人になりたい。自分がやりたいことへの経験が無さ過ぎる。
ずっと残る空間をつくるときに、折れない拘りを持ち、それを人に良い意味で押し付けられる人になりたい。
つかの間の空間ではなく、残るものをつくりたい。それができるようになったら、死んでも良い。それができなかったら、死んだほうが良い。
風邪って、大罪だと思う。
仕事100%の毎日を、誰に言われてそうしているわけでもなく送る。
自分が何を好きなのか、自分にも良く分からない。
野球が好きだが、今から選手になんてなれないし、
ファッションが好きだが、服を仕事にする気もない。
時計はそろそろ変態的に好きだが、それが仕事になるなんて思わない。
何かをしていることが好き、という瞬間が見つからない。
本を読むことは好きだ。靴を磨いているときは好きだ。
プロジェクトが形になったときの感動は好きだ。その後の飲み会も好きだ。
どんなプロジェクトなのか。それは正直、どうでも良い。
人道を外れていないことでなければ、誰かと、何かをやり遂げることは、とても好きだ。
ただこれだけは言える、と思うことでいえば、現場が好きだ。
なぜ好きかと言うと、事件は会議室では起きないからだ。必ず現場で起きるからだ。
当事者でいたい。矢面に立てる格好良い人でいたい。不器用で良いから。でもそれが、とても難しい。
どうしても外せない用事があり、2日間現場を離れてしまった。
その間に、たくさんのことが起こった。2日前とは、全然違う現場が、そこにはあった。
その時点でぼくはもう、矢面には立てない。現場人では無いのだ。
必死で追いつかなくてはならないが、もうそこには、ぼくを必要としていない環境が広がっている。
現場に携わる人すべてが、最低でも100%で取り組まなくてはならない。
ひとりでも90%がいると、現場はダメになる。風邪なんてのは、現場にとっては、大罪なのだ。
ぼくが選んだ用事においては、現場で、当事者でいられた。
でも、仕事の方ではもう、ぼくは不要な存在となっている。
2日間の遅れを取り戻すには、どれだけかかるのだろう。
日々の選択というのは、生半可な覚悟でできるものじゃない。
そのひとつひとつで、ぼくはじぶんの現場を捨て、どこで矢面に立つかを選んでいる。
その選択たちがで、ぼくはできている。
自分が分からない。
こんなにシンプルな生活になったのに、自分のことが分からない。
なんであんなことになってしまったのか。なんで今こうなっているのか。
自分のことがいやで、変わりたくて仕方ない。
人見知りで、酒にすぐ呑まれて、ひとりでは生きていけなくて、見栄っ張りで、痩せっぽっちで、
そのままでも良いんだよ、という優しい言葉に甘え続けてきた。
でも、それじゃだめだと常にどこかで思っている。そのままで良いことなんて世の中にひとつも無いんじゃないか。
このまま中途半端に適当に稼いで暮らしていて何が楽しいか。絶対に違う。そんなクソみたいな人生は嫌なんだ。
今とは別次元のステージの仕事人になりたい。
今では出会うはずのないステージの人と出会って、もう1回、あのときの強い感覚を味わうのだ。
気怠い感覚のまま、とびきり熱いシャワーを全身に浴びる。
血が一気に体中を駆け巡る。丁寧に前進を洗って、歯磨きも念入りに。
ふわふわのタオルで身体を拭いて、濡れたままの髪をそのままにジェルで中村アン並に一気にかき上げる。朝のルーティンだ。
ジャケットの右内ポッケにマネークリップ、左ポッケに携帯とイヤホン。昨日の夜に考えた内容を読み直し、PCを閉じリュックへ。家を出た瞬間に風が全身に行き渡る。頭が一気にクールになる。よし。やるか、今日も。
パンクした自転車はなかなか直せない。不幸中の幸いなのか、歩いている時間はけっこう大切だ。
おっす、おつかれ。今どこ?
恵比寿っす
そかそか、俺新橋。飲むか
行きます
おつかれ~今どこ?
家っす
今恵比寿なんだけど、一杯どうよ
行きます
おつかれ、銭湯いきましょう。
ですね、行きましょう
こんな毎日だ。仕事はしたい。だけど、自分の仕事ごときで人様の厚意を無駄にしたくない。
仕事もやれば良いのだ。好きな人からの誘いは断らない。断れないんじゃない。意志だ。
何かを期待しているわけではない。計算ができるくらいならもっとうまく色々やっている。
自分に気を掛けてくれる人へ自分ができることなんてのは、そのくらいなのだ。ただ真っ直ぐに向き合う。それだけだ。
行ったら行ったで、何ができるわけでもない。
お酒を注いで、一緒に飲むだけだ。特に感動を与えられるような話もない。
だったらいかに早く駆けつけて、いかに話を聞けるか。そこしかない。
ちょっとしたことを全て毎回やれるか。
人見知りの自分は新しい環境では緊張して動けないこともある。いつも後悔する。
そのときにいかに言い訳しないか。しっかり謝るのだ。
知っているどんな些細なことでも聞く。絶対に相手のほうが詳しいのだ。自分なんかよりも。
なんにも知らないやつだと誤解を招いたって最初は良いと思っている。
とにかくついていく。そして思ったことはしっかり伝えていく。そこから生まれるものがあると思う。
もうおっさんだ。
40までとして、もうあと10年で終わりだ。誰に何を残せるだろう。
ふたりの人生は最高だったが、ひとりの人生にあの生き方はつまらなさすぎたのだと思う。今日は何をしたか。明日は何をするか。
予定調和ではない人生こそ刺激的だ。
結婚してたときより、今のがずっと素敵よ
その言葉が、真理だ。
もっとジタバタしなさい、それで良いの
それこそが、人生の楽しみ方なんだろう。