1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

ほんとはずっと、うらやましい

 

「顔が良いけど性格が悪い」という理由で悩んでいる

 

 

という話題で大学生の男女が話していた。

 

 

 

 

 

 

 

ただ単純に、すごいと感心した。

この男、じぶんの顔が良いと確信していた。

 

 

 

すごい会話をしているなあと、ふと目をやって、もっと驚いた。

ぼくだったら確信を持てない顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その奥の席のお姉さんと目が合った。

たぶん、同じことを思っていた。

軽く会釈した。

 

 

 

 

 

大学生よ、これがオトナである。

 

 

 

 

 

 

 

 

兎にも角にも、驚いた。

大学生は、可能性に溢れているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間が過ぎるのが早い。

ゆっくり過ごしたいと思う。

 

デザインに、ライティングに、持っている足りない知見や知識を最大限振り絞って生きている日々。

 

どれだけ知識をじぶんに取り込んで仕事に臨んでも、当然のことながら、先輩方は軽くその上をいく。

 

経験に勝るものはないと、どれだけ準備して挑んでも簡単に状況が変わる現場に出るたびに思う。

 

もっと余裕を持って生きていたいと、思い続けて何年になるだろうか。

あと何十年、そう思って生きていくのだろうか。

 

 

 

 

 

つい先日の休みに、久しぶりに、研いだ後米を寝かせ、快速でない設定でご飯を炊いた。

炊けるまでの時間、とてもゆっくりとした時間が流れた。

 

 

米が炊ける匂いを感じたのは、いつぶりだろう。

 

 

 

 

 

 

こういう時間を過ごしていくためにどうしていけば良いのか

そう考え続けて、その実現のために日々忙殺されている。

 

 

 

 

 

 

先述のコーヒーの話もそうだが、束の間の休憩時間がとても好きだ。

その瞬間だけ、素直にじぶんを認められる気がする。

 

即ち、今この時間、この文章。これはリアルなじぶんであり

何も気を遣わない、何に対しても防御していないぼくである。

 

 

 

 

ふだんは違う。家以外では、常に臨戦態勢である。

いつなん時、何が降りかかってくるかわからない。

ぼくは狩りに出ているのである。

 

 

 

 

今隣りで話している、カップルでもないけどお互いに

付き合おうとどちらかが言えば即刻付き合うだろう、

ただ単純に会っただけなのに「密会」とふたりで喜んでいるこの男女は。

 

 

 

羨ましいくらいに気が抜けている。

ぐでたまとかそんなレベルではない。

よくこんな人間の密集地で、ぬけぬけとそんな恥ずかしい話ができるな、と。

これは、ぼくには真似できない荒技である。

 

 

 

 

 

 

 

 

怖さを覚えてしまうと、ひとの動きは鈍くなる。

ただ、そこを越えると、怖さは武器になる。

 

そこまでいける人間がどれだけいるかといえば、それほどいない。

 

 

 

 

 

 

 

「これで良いのか」というじぶんと「これで良いのだ」というじぶんと。

これをどちらかに絞るというのは難しい。

 

 

絞ったところで、どちらかが完全に消えることが無いから、その後の付き合い方も難しい。

 

 

 

どちらかというと、日々の生活レベルでは後者を選択したほうがなんとなく楽なものだから

そうしているひとは多い。

 

 

 

 

大きなマクロの選択ではそういう選択をするのだが

小さいミクロの部分では、意外と前者が多いのもおもしろい。

日本人は、本当によく働く。

 

 

 

どこに線を引くのかは本人の自由である。

ひとの線を変えようとすることも、そこには無頓着になりじぶんに目を向けることも

線を消すのか、越えるのか、守るのか、関わらないのか

 

 

それも本人の自由である。そこにはなんの拘束力もない。

 

 

こう考えるじぶんの価値観もまた、線である。

 

 

 

 

よくデザインとアートは別物と思って仕事をしているが

それこそまさに先人が引き、またじぶんが乗っかった線である。

 

 

 

 

 

格好をつけてデザインを仕事にしていると述べたところで。

正直どんな御託を並べたところで。

 

今までのどんな人力のデザインやアート作品よりも、

一発のスカイダイビングや自然の景色を見た瞬間の方が、心動かされている。

 

 

 

 

 

そんなのどうでも良いんですよ、と言って何処かへ行ってしまいたい気分にも多々なる。

それをぐっとこらえて、徹夜で仕上げた作品をゼロベースにした相手を納得させるべく、再度歯を食いしばるのだ。

 

 

 

 

 

 

大学生よ、君たちのほうがずっと人生は楽だ。

個人的には、絶対そっちの方が楽しいと思ったりもする。

 

 

 

できればずっと、海に浮かんで生きていたい人生だった。

 

 

 

ずっとそうだと飽きるよ、という人もいる。

いやいや、絶対海にずっと浮かんでられる。

好きだから。

 

 

 

仕事なんて本当は全然したくない。

宝くじが当たったら即刻辞める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

差別はダメだ、遠くの国へワクチンを届けたい。

そうだ、駅前で叫ぼう、募金活動をしよう。

 

 

それで動くほど、世の中は単純じゃない。世の大人たちはそんなに優しくない。

 

けれど、本来それが良いのだということも、なんとなく分かっている気がする。

 

大人たちは、真っ直ぐすぎる君たちに、妬いているのだ。

こんな良い年になっても。ずっと羨ましいのだ。

 

 

 

 

 

 

ぼくも、アートが羨ましい。圧倒的な芸術は、どんなデザインよりも美しいと思う。

ぼくには自分で生み出す力がない。だから、デザインなのである。

 

 

絶対に、アートの方が、ひとの心を動かすのである。

それは明白な事実すぎて、目を背けることしかできない。

そこに目を向けてしまったら、ぼくはぼくでいられなくなる気がする。

 

 

 

 

 

自称顔が良い大学生男のとなりでこんなことを書いているなんてことを彼は知るはずもなく

ずっとくだらないことを話している。そろそろ鏡を見たらどうだろうか。

 

 

韓流系だよね、と良く言われる、と言っている。

 

 

わかる、わかるぞ。

ぼくも良く言われた。

 

 

それは、一重の男に対してかけられる精一杯の褒め言葉だ。

まともに受けてはいけない。やめろ、その嬉しそうな顔。

 

 

 

 

いきぬきの時間は終わりだ。

オトナは仕事に戻るのだ。

 

 

 

ああ、羨ましい。

本当の楽しさは仕事にあるとか、色々言ったとて

結局いちばんのいきぬきは、「そういうところ」にあるのだ。

 

 

 

そうなれなかった人間が、「オトナになった」とか言い出したんだろう。

 

 

 

そういう、悲しいオトナにはなりたくない。

 

 

 

 

 

 

なんて思いつつも、現実は待っちゃくれない。

後ろに目もくれず突き進んでいく。

 

 

 

 

 

さて、もうちょっとがんばります。

 

この「もうちょっと」の積み重ねで、辛うじてぼくは

理想の背中がまだ見えるくらいの現実を走っているのだ。