1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

強い動機は、大体ダサい。

 

 

 

 

昔、無給無休で働いてたときがあった。

 

 

 

 

 

最初に勤めた企業を早々に辞め、デザイン業界に未経験で飛び込んだ。

 

当然戦力として雇ってくれるところなんてない。

 

ここで踏ん張ってデザイナーとしてできることを増やして

デザインで食えるようになるため。

そういう一種の「修行」の期間。

そう思って、最低限、会社にご飯だけは食わせてもらって、生きていた。

 

 

 

 

 

 

 

そのとき、ぼくは親に半ば勘当されていた。

 

前ブログと時期は異なるが、

みんな、抱えてた。 - でざいなーのいきぬき

大まかに見たら同じ時期、食える前の時期だ。

 

好き勝手生きていたぼくに、親はとうに愛想を尽かしていた。

 

 

 

ぼくには、親を頼る選択肢はなかった。

ただ、修行をしていく中で、日に日に固定費で貯金は減ってゆく。

 

 

ついに、暮らせなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このとき、ぼくが頼れる人間は、彼女しかいなかった。

 

 

 

 

 

 

ごめんね、お金が足りない。

 

いくら?

 

 

 

 

 

 

特に何も聞かずに、彼女はお金を渡してくれた。

彼女は実家暮らしであれど、一般企業の事務職だった。

 

全然余裕があるわけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

ううん、がんばってね。

 

うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくが一体何をしていたのか、彼女は心から理解していなかったかもしれない。

 

それはそうだ。

 

経済学部経営学科を卒業した彼氏は、

 

急にデザイナーとしての道を歩むとほざきはじめ

 

ただでさえ全然華麗じゃない転身を、

まだ遂げられてもいないのだ。

 

 

 

 

 

それでも彼女はきっと、

彼氏を信じる気持ちだけで、

なんの見込みもない投資を

なんの疑いもなく、してくれた。

 

 

 

それから、生活代をもらっていたときがしばらくあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがたいなあと毎回思いながら

仕事を一生懸命やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張ったその仕事は、

 

 

生業にはならなかった。

 

 

 

 

 

 

そのとき、形にならなかったということは、

 

頑張らなきゃいけないタイミングに

ぼくはたぶん、頑張り切ることができなかったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れられないタイミングがある。

 

 

 

 

 

 

 

数回目だろうか。

生活費が入ったときに

 

 

 

一瞬、気持ちが緩んでいるじぶんがいることに気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、またこれで食っていける、と。

 

 

 

 

 

 

恐ろしいことを、ごくごくふつうに考えていた。

 

 

 

 

 

最低の精神状態になると

ひとへの感謝よりも、愛するひとへの感謝よりも

じぶんが今日食う飯が大切になるんだ、と気付いた。

 

 

 

 

 

 

じぶんのなかにある「クズ野郎」に気づいたとき

 

心からじぶんを嫌悪した。

 

 

 

 

 

 

ぼくが今までの人生で最初に、死にたいと、本当に思ったタイミングだった。

 

 

 

 

 

穴があったら入りたい。

消えてしまいたい。

 

 

ぼくは一体何を思ってしまっているんだろう。

 

 

 

 

 

こともあろうに、ぼくは

いちばん大切にしたいひとのキレイな思いを

 

まったく悪気なく、踏みにじろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

今までのどんなことよりも、恥じた。

 

 

 

こんな状態に、二度となりたくないと、

 

そう、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

似たようなことを、リリー・フランキーさんが仰っていた。

 

 

 

食えていなかった時期、家賃滞納で追い出され、友人の家に居候していた。

 

彼女に「1000円借りたい」と言う電話をする金がない。

 

友人に10円借りて「1000円貸して欲しい、会いに行く金がないから来てくれ」と彼女に電話をした。

 

わざわざ彼氏が居候をしている友人の家に来てくれた彼女から、飯を食わせてもらい、1000円を受け取る。

 

そのとき、彼はこの異常性よりも、「また生きていける、良かった」

 

 

そう思っていたんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かで読んだかどこかで聞いたかしたこの話が、ずっと心に残っている。

 

この感情は経験した人間にしか、きっとわからない。

 

 

「クソだな」と言う一言で終わってしまう話だが

 

 

経験した人間からしたら

全く他人事でないことが分かっているし

誰もがこういうじぶんを抱えていることを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、二度とあんな思いはしたくない。

あんなカッコ悪いこと、もう、ほんとうに。

 

 

あんな汚い精神には戻りたくないし

愛するひとを、しっかり愛していたい。

 

心から、まっすぐに。

 

大切にしたいひとのために、しっかりとした心持ちを揺らがずに持っていたいのだ。

 

 

 

 

 

恥の感情は、もしかしたらいちばん強い動機になるのかもしれない。

「逃げる」ときが、ひとはいちばん本気になるのかもしれない。

 

 

 

 

 

あの日、あのときから、ぼくは基本的にそうやって動いている。

 

あのときのじぶんに、環境次第では、なってしまう。

それはきっと、どうしようもできないことだと、それほどじぶんは弱い人間だと、ぼくは分かっている。

そこに気付いた人間は、強いんだとも、思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうに強い動機って、すごくダサいんだと思う。

大それたことなんて何もない。

 

 

 

 

 

あのじぶんになりたくない。

 

 

 

今日もぼくは、そんな思いで、

逃げるように生きるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の夜が、好きだ。

 

 

この季節になると、彼女とうっすい布団で、暑いのに身を寄せて一緒に寝て、

カーテンもないから、太陽の光と共に異常な早起きをしていたことを思い出す。

 

 

 

 

 

あれから時が経ち、ある程度暮らせるようになった頃だ。

 

 

 

 

 

 

夜には一緒にどこかへ散歩をして

マンションの1階に入っているラーメン屋で夜食を食べた。

 

 

 

 

 

 

あのとき、本当に心から、このままで、どうかこのままで、と

そう思っていた。

 

 

 

 

 

そんなことを思い出して、少しキュッと胸が締め付けられる。

生ぬるい夜風が気持ちよく感じるくらいに、心の奥が熱くなる。

 

 

 

 

 

形は変われど、あれからこの気持ちは変わっていない。

 

けれど、ときどきあのときの気持ちを思い出したくなって、外に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

またぼくは、ちょっと食えるようになって、

少しあの思いを忘れていたのかもしれない。

 

 

 

 

だせえなあ、と小さく呟いて笑う。

 

じぶんのことばっかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風が頬をすいとすり抜けていった。

 

 

 

月が綺麗だ。

 

 

 

届くと良いなあ。

 

不器用なところも、まるっと、ぜんぶ。