1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

ばあさんのこづかい

 

 

 

ばあさんは本当に優しい。

 

 

 

 

 

姉のことも、弟のことも、ぼくのことも、誰を贔屓するようなこともなく平等に

小さいときと変わらず、今も尚愛してくれている実感があるし

 

「ダイちゃん(親父)の子どもだから好きなのよ」と

あくまで愛する息子の息子だから、と前置くところも好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

前述参照(以下)だが、

 

salud.hatenablog.com

 

ばあさんが、ここ数年で急に呆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30分前に飯を食べたことを忘れてしまう。

今日会ったことも、忘れてしまっているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばあさんは、よくお小遣いをくれる。

 

 

 

 

 

 

社会人になってからは、もう一人前だからと断るようにしていたが

 

じいさんが死んでから、なんとなしに、

受け取るようにした。

 

そうするべきだと思ったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

呆けたな、と実感したのも、そのタイミングだった。

 

 

 

 

 

 

連れ出さないとずっとテレビを見ているので、

買い物付き合ってよ、と浅草に連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

家どこだっけね

 

お台場だよ

 

ここまでどうやって来たんだい

 

電車だよ

 

ここまでじゃ電車賃もバカにならないでしょう。

 

うーん、そうだね。往復するとけっこうかかるね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけない。

 

でもそれで良い。

昔から、ただお小遣いを渡すことに親は難色を示していたので

何かしら理由をつけて渡してくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、電車賃ね。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

ご飯とか、電車賃とか、そういう免罪符があれば

なんとなくぼくも受け取りやすい。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと、せっかくだからそこの喫茶店まで歩こうか、

 

 

 

 

そう言って、ばあさんのペースに合わせながら歩く。

 

すっかり歩くペースも遅くなった。

 

どんどん後ろから追い越されていく。

 

 

 

みんな歩くの早いなあ、いつもじぶんもこんなもんか。

 

 

 

ばあさんと歩く時間は、けっこう貴重だ。

 

見えないもの、見ようとしないものが、見えたりする。

 

 

 

 

こんな路地あったんだ。

 

 

 

あれ、奥に喫茶店ある。

 

 

 

ばあさん、あそこ入ろうか。楽しそう。

 

 

 

 

 

 

カラン、という音で、奥からおばさんが顔を出す。

 

目が合うと「おしぼりお持ちしますから、お好きなお席どうぞ~!」と叫ばれた。

 

 

 

手前の席に座り、ふうっと一息ついた。

 

 

 

 

 

 

コーヒーふたつください

ミルクとお砂糖いるよね、ばあさん

 

うん、そうだね

 

おけ、それでお願いします

 

 

 

 

 

はーい

 

 

 

 

 

 

こんなところあったんだね

 

そうだねえ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐにきたコーヒーをズズッと啜る。

 

他愛もない話、聞いてもわからないだろうぼくの仕事の話。

 

全部を、ばあさんは笑いながら、うん、うん、と聞いてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばあさんが、少し間が空いたタイミングでこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、お小遣い渡したっけね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきもらったよ

 

 

そう言おうとした。

 

 

 

 

 

 

でも、何が正解かを考えたときに

 

ぼくはそのことばを言えなかった。

 

 

 

 

 

呆けたこと、それ自体を、ばあさんは今覚えていない。

 

 

 

たぶん、わからないけれど、それを受け止めることって、

それなりにパワーがいることだと思う。

 

毎日、ばあさんはそれに直面して、そのたび何を思っているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきと全く同じやり取りをして

 

ぼくはまた、お小遣いを受け取った。

 

 

 

 

 

 

そのあと、ばあさんがお手洗いに、席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきのことを、必死で整理した。

 

 

 

 

 

 

 

その結果ぼくは、もらった1万円を、そっとばあさんのバッグの中に戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻ってきたばあさんが

 

 

「そういえばここまでどうやってきたの?電車賃あげないとね」

 

 

と、さっき戻した1万円をくれた。

 

 

 

 

 

 

ありがとう、

 

 

またぼくは受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、ばあさんがいないタイミングで、それを戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくにできることはなんだろう。

 

 

 

 

じぶんが、ひととして正しいことをしているとは思えない。

 

でも、ぼくは、ばあさんの嬉しそうな笑顔を前に、正義で動けない。

 

 

 

 

 

もう、人生の後半の

ロスタイムも終わりかけだ。

 

 

しあわせな、できるだけ笑顔の時間をつくってあげたい。

たとえそれをすぐに忘れてしまうとしても。

 

それは、ぼくの逃げでしかないこともわかっている。

 

 

 

 

もうもらったよ、と伝えることが正解か。

優しい嘘も、あると信じている。

 

 

狭間で、揺れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだねえ、わたしたちの頃はね、ダイちゃんが小学校の頃はね

 

PTAの会合が終わったら、みんなお母さんたちは通学路の喫茶店でね

 

コーヒー飲みながらおしゃべりしてたんだよ。そうしたらお昼休みの先生が来てね

 

タバコ吸いながらまた喋ってね、あのときの先生なんて適当なもんだったね

 

 

 

 

 

 

 

 

何回聞いた話だろう。

 

でも、毎回最後まで聞く。

 

 

 

それが30分後にまた聞く話だと分かっていても。