1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

奇跡くらい、ちょっと起こってくれ。

 

やらなくても良いことがたくさんある。

 

 

 

 

 

でも、だいたい、そういうことって好きだ。

 

 

靴を磨く時間が好きだ。これができていないと、忙しいということで

ぼくは機嫌が悪くなる。というわけで、機嫌が悪くなると、ぼくは革靴を履く。磨くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忙しいときほど、やらなくても良いことをやりたくなるのはなんでだろう。

 

 

 

 

 

 

無駄に自転車を夜な夜な漕いでみたりする。

青春を思い出したくなるのだろうか。分からない。

 

 

電池切れの腕時計に気付くのも決まってそんなときだ。

 

 

いつもは買わない、粒の大きい、高い方の納豆を買うのもそんなときだ。

 

 

やたらと家中のタオルを洗ってみたり、ベッドのシーツを取り替えてみたり

模様替えのアイデアがなぜか浮かんでくるのだ。

 

 

おもしろいのは、それをひととおりじぶんの好きにやらせてみると

そのあとすごく仕事が捗るのだ。

 

 

さっきまで全く思いつかなかったことが

洗濯物を一旦丁寧に意識して畳んでみると、そのあと割とすぐに思いつくのだ。

 

 

現実逃避ではなく、ぼくはこれは正直なぼく自身の現状に対する反応として受け取っている。

 

 

 

 

あ、全然思いつかんな~

 

あ、なんか洗濯物たたみたい

 

そうだよね、うん

 

俺って今たたみたいよね

 

たたまないと思いつかないんだよね

 

わかった、たたむ

 

 

 

こんな具合である。

 

 

 

 

 

さらにおもしろいのは、この具合で

寝たい、とはならない点である。

 

 

洗濯物を回して、部屋を掃除して、午前2時になった。

 

 

そこから、仕事が捗るのである。不思議だ。

 

 

 

 

 

話がずれた。

 

 

いや、ずれてもない。

 

 

もともと、本題になんていっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道具を大切に使えと、けっこう躾けられた。

野球の練習をしたら、道具を磨く。これは一連の作業だった。

 

 

時々疲れのあまり面倒になってやらなかったこともあった。

そうすると、ものすごい罪悪感に苛まれた。

 

 

 

 

 

狭い玄関で手入れ用具をいっぱいに広げ、グラブとスパイクを念入りに磨いた。

空調はなく、夏は大汗をかきながら、冬は鼻を垂らしながら。なぜかはわからない。

風呂に入った後にそれをやるものだから、結局土とオイルの匂いを纏って寝ていた。

 

 

 

結構その時間、その空間が好きだった。

 

 

 

ただ、残念なことに、道具を磨くことと野球が上手いことは比例しなかった。

 

いつしか、それをやっても野球が上手くなるとか、報われる、とかそんなことはないと悟った。

 

それでも、その作業は欠かさずやった。

 

意地のような、すがるような、そんな思いだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野球人生が終わり、そのルーティンは必要なくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、ひとしきり回り道をして、またぼくはそのルーティンを再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は経ち、スパイクとグラブは、革靴とクラッチバッグになっていた。

考えることは、あの試合ではなくあの商談になり、好きなあの子ではなく妻になっていた。

保険とか税金とかそんなことも考えなくちゃいけなくなっていた。

 

 

 

 

抱えるものは重く多くなり、考えられる時間は減った。

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関に座り、革靴とクラッチバッグを磨く。

 

 

 

姉から磨き道具一式を誕生日にもらった。

本当にデキる人間だと思う。

姉は今ぼくが、日々革靴を磨いていることなんて知らないはずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラシで丹念にホコリを払う。

オイルをタオルに染み込ませ、丁寧に丁寧に磨いていく。

確かに染み込む感覚があって、革靴のすべてにそれが感じられるまでしっかり付き合う。

最後に着色を行い、余分な油分を乾いたタイルで拭き取る。

 

 

 

 

 

 

一足一足。いろんなことを考えながら。

うまくいった喜び。ぶつけたい苛立ち。

そして、日々戦場に一緒に行ってくれる彼らに感謝しながら。

 

 

 

 

 

 

 

ホームランを打つのは、ファインプレーをするのはいつもじぶんだ。

そのためにすることはたくさんあって、それを必死でしたとしても、うまくいくことは、いつも、稀だ。

 

 

辛い毎日だ。

 

楽しいことは、楽じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道具を磨くのは、安心したいからだ。

 

これだけ頑張っているんだ、俺は

奇跡くらいちょっと起こってくれ。

 

そう、自分だけでは背負いきれなくなったものを、ちょっと何かに託してみる。

 

 

 

それで何が変わるわけじゃないのだが、それでまたやれるじぶんになれる。

 

 

 

 

 

 

 

何かにすがりたくなると思う、じぶんのことはきらいじゃない。

じぶんひとりでは生きていけないと思えるじぶんのことが、ぼくは好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

なるべく多くのことができるようになりたい。

じぶんだけでできるだけ完結できるようになりたい。

前まではそんなことを思っていたが、そうは思わなくなった。

もちろんそれは一度広げたからわかったことなんだと思うので、結果として有意義な期間だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

ひとりよりふたりの方が良い。

寄り添っていてもらいたいし、寄り添っていたい。

 

 

 

 

 

 

この靴磨きというルーティンは、ぼくの逃げ場なのである。

 

 

 

 

 

 

 

弱い人間である。

 

 

 

 

 

 

でも、そのおかげで、また強くなれるのだ。前よりも。