1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

あの頃は、ハッ

 

 

あの頃に戻りたいなあと、思うとき。

 

 

 

 

 

その「あの頃」ってものは、一体なんなんだろう。

 

 

 

 

 

今がいちばん楽しいと思えたら、それはきっと、最&高である。

 

が、だいたいの場合、そうではないと思う。

 

何か到達したい高みや、実現したい状態があるから、ひとはたぶん死なずに生きている。

 

 

 

そして、その未来絵図は、「あの頃」からできている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでぼくにとっての「あの頃」はどこなんだろうと考えると

 

 

 

驚くほど何も出てこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊び狂っていたというだけの理由で大学の1年の頃を思い出したじぶんに嫌気が差した。

 

 

 

音楽をやっていた頃も思い出したが、今もやっているし、今の方がやっている。

 

 

 

やたらとモテた時期もあったが、今はクソほどモテないがさほど問題ではないじぶんがいる。

それはそれで遺伝子存続的な意味でちょっとやばいんだけど。

 

 

 

野球しかやっていない時代には心から戻りたくない。

 

 

 

 

 

 

考えてみると、「あの頃」は「あの頃」だから良いのだ。

 

 

 

「あの頃」が急に目の前に現れたらけっこう嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

もし戻るのであれば、

 

今のスペックのまま戻りたい。

 

 

 

これは素晴らしい案ではないか。

 

 

 

 

 

気持ち良さそうなので

今の状態でいろんな「あの頃」に戻ってみることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校野球時代に戻ってみる。

 

 

毎日プレッシャーの中で戦っていたが、

今の状態で戻ったら「大した問題じゃない」と思える気がする。

 

 

効率の良い練習、計画的な食生活。

メンタルの切り替え。監督との良好な関係構築。

 

 

なんだかすごくうまくいく気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生に戻ってみる。

 

忙しいとき、よくこの時代に戻りたいと思う。

きっと戻ったらすごく楽しい気がする。

 

 

まず朝6時半に起きる。

1限から出る。

「あの頃」は出会う機会のなかった高嶺の花、才色兼備のあの子と仲良くなるんだろう。

当然、そういう関係になるに決まっている。

何しろ現スペックのじぶんであれば、幾多のコンペを乗り越えてきているのだ。経験が違う。

だが、サボることもしっかりやる。

時間をしっかり定めて、いつもの喫煙所前のピロティでダラダラするのだ。

時間が来たらアルバイトに出る。給料はしっかり計画的に貯めるのだ。回したりしちゃうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だめだ、クソがつくほどつまらない。

 

 

 

 

 

ロマンがない。

浪漫がないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

安心安全。何かあると喉から手が出るほど欲しくなるこれら。

 

しかし実際、見えている、予測可能な未来を歩くということの、なんとつまらないことよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、「あの頃」は良かったなあ。

 

 

そう思うことが、生きる活力そのものなのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの失敗も、後悔も、ぜんぶ、そう思うと愛おしく思えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

あのときうまく伝えられていたら

きっとフラれることなんてなかったんだろう。

 

だけどあのときうまくいっていたら

 

ぼくはことばをこれほどまでに大切に思っていただろうか。

 

 

あのときイルミネーションの中で「君がぼくと付き合うべき3つの理由」なんてプレゼンをしていたら

 

ぼくはきっと今頃すごくいやなやつになってしまっている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野球がうまくなりたい。

でも、あのとき、うまくなれなかったから

 

ぼくはきっと、何かをうまくなるにはどうすれば良いのか

そういうところを考えるようになったんだと思う。

 

 

 

うまくいっちゃっていたら、ぼくは今こんな生き方をしていないだろう。

 

どこか大きな企業に入り、恵比寿あたりで名刺を振りかざして歩いていたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの頃」に戻りたい。

戻れたら次こそはうまくやるのに。

 

 

 

 

 

 

そう思える「あの頃」があるということは

とても健全なことなんではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

冒頭の通り

あの頃は良かった、という「あの頃」は、今のところぼくには無いようだ。

 

 

そもそもよくよく考えたらぼくはまだ20数年しか生きていないのだ。

無くて当然なのかもしれない。

 

 

 

それでもあの頃に戻れたら、くそう、という「あの頃」はいくつかあって

 

 

 

 

そういう、なんとも言えない、戻りたいけど戻りたくないんです、的な

 

くすぐったくなる「あの頃」が、ぼくを今デザイナーに仕上げてくれている気がするので

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり「あの頃」は「あの頃」だから良いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来の話をするとすれば、

 

ずっと先にまた同じようなことを考えたときに

 

 

 

 

今思う「あの頃」と、「あの頃」に変わる今この時と、

 

 

「その頃」がうまく繋がっていたら、そう思えたら良いなあと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなくだらないことを書いていたら、

 

日本酒が1本消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

なんだかんだ、今がいちばん楽しいのだ。

 

 

 

 

 

というか、そもそも今しか楽しめないのだ。きっと。たぶん。

 

 

 

 

ふりかけなのだ。所詮は。昔のことは。

白飯は今なのである。

 

 

何を言っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜風に少し当たって、寝よう。

 

 

また「あの頃は、」とかひとりで浸るんだろう。

 

 

そういう「今」が、また良いのだ。