1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

それできっと、充分だ。

 

 

 

 

8月6日。

 

 

この日は、死んだじいさんが言っていたことを、思い出す。

 

 

 

 

 

 

小さいときに聞いた話だからうろ覚えなのだが、

 

空襲にあって、防空壕に逃げる途中で、おっさんがケツを撃たれた、とかいう話。

 

 

 

 

 

その話を、じいさんは笑いながら、オチ的な感じで話していたものだから、

 

その異常な状況がいまいちつかめていなかったが

 

 

 

 

改めて考えてみると、大変な事態である。

 

 

 

 

ケツを撃たれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

野球をやっていたとき、腰の骨を剥離骨折したことがあるが

 

あのときも相当な痛みだった。

 

 

 

きっとそんなもんじゃないんだろうと思うと、

 

 

それを笑いながら話していたじいさんは鬼である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、そんなわけでじいさんのことを思い出す。

 

 

歴史作家で、ヘビースモーカー。

 

 

昔はすごく酒飲みで、ばあさんは苦労したらしい。

 

 

 

 

 

 

タバコが原因で倒れ、入院して死んだ。

 

 

 

 

 

昔はボート選手だったようで、背が高くガッチリした体型。

じいさんなのに親父よりでかい。

 

そんな、子供ながらにかっこいいと思った姿は

晩年は見る影も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どちらかというと、じいさんよりも

ぼくは、ばあさんにとても可愛がってもらった。

 

 

 

 

 

小さい頃は、ほとんどのおもちゃはばあさんに買ってもらっていて

 

中高の頃には、それが服に変わった。

 

 

外食がほとんどない家庭で育ったぼくにとって

ばあさんとの買い物は食事も楽しみで

 

うまいもんをたらふく食わしてくれて

 

食後にはコーヒーを飲む、ということも、ばあさんから学んだ。

 

 

 

 

 

 

 

ものすごくオシャレで、年をとることを嫌って「ばあさん」と呼ぶことは許されなかった。

 

多少歩くのは年が経って遅くなれど、エスカレーターは使わず階段を使っていた。

 

昔の話はあまりしなかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

じいさんが死んだ後、本当に急にばあさんは老け、呆け始めた。

 

 

 

連れ出さないと外にあまり出なくなり、テレビをぼうっと見ていることが多くなった。

 

昔の話を、よく話すようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それがぼくにはとても悲しかった。

 

 

 

 

 

じいさん、ばあさん残して何死んでくれてんだ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争はダメだと、今日この日は、多くの人が再確認する。

 

 

戦争で罪のないひとが死ぬことは許されない。

 

 

 

それは確かにそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

でもぼくにとって今日という日は、

 

 

 

じいさんを思い出して、

ばあさんを思い遣って、

また1年できるだけ会いに行こうと思う日なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原子爆弾の威力がどれだけのもので、その被害がどれほど凄惨で、非人道的なことかは勉強したけれど

 

 

正直、経験していないからピンとこない。

 

 

 

 

被災者の方々が、未だに健在で、当時の話を伝え続けていることは素晴らしい活動だと思う。

 

 

が、平和ボケしているぼくには、正直その、本当のことは、どうしても分からないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、ばあさんのことを考えることで

 

 

 

 

大切なひとを残して死ぬことがどれだけのことか、ということはわかる。

 

 

大切なひとに先立たれるということが、どれだけのことなのかはわかる。

 

 

それがもし急な出来事で、何も話せないまま永遠の別れとなってしまった場合の怖さもある程度わかる。

 

 

じいさんとばあさんは少なくとも、最後の時間をふたりで過ごせたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それできっと、充分だ。

 

 

じぶんの大切な人が急にいなくなったら、いやだ。

 

 

ひとの大切なひとの命を奪うことは、そうしたら、だめでしょう。

 

 

 

 

 

今日という日に考えることは、決して大それたことじゃなく

 

 

それできっと、充分なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界平和なんていう大きなことは

 

ちょっとぼくには難しいけれど

 

 

 

穏やかな毎日を、なるべく多くのひとが過ごせることを

 

 

じぶんが大切にしたいひとが、より良い気持ちで日々を過ごせることを

 

 

 

今日は、祈っていたい。