結果、気ままに生きている。
気ままに日々が過ぎてゆく。
気まま、というのは良い言葉だ、と思う。
遠慮や気がねをせずに自分の思うままに行動すること。というのが原義らしい。
まぁ実際に果たしてそうなのだろうか。というところはさておきたい。
さておき、というのができるようになったことは、オトナになったことを実感するひとつの瞬間である。
前回の打ち合わせであれだけやりあっても、さておき今回の打ち合わせにしっかり臨むのである。
日常生活で妻に突っ込みたいことは山ほどあれど、さておき自分の仕事に集中するのである。
クライアントとの電話をしながら渋谷の路地に入ったときに不良にタバコを後ろから投げられてもさておくのである(実話)。
超怖かったのであるが、クライアントには何にもバレなかったのである。さておけたからである。
さておけるというのは、結局遠慮や気がねそのものじゃないか。
どうやらぼくは全然気ままじゃない。田舎住まいなのに。
田舎でも消耗している新しいイケハヤスタイルである。
ただ、それでも、特に気分がブレずにさておけるようになった。
気ままにさておけるのだ。
ここまできてアレだが、さておけるって何なんだ。というのはさておく。
怒ったり不快になるくらいなら、今この現状をどうしようかというところを精一杯楽しんだほうが良い。とかいう心持ちで今は仕事をしている。
妻との生活も、そうしようと意識している。
正義でばかり生きていると窮屈だ。
狭っ苦しい正義なんてさておき、敢えてアウトローに逃げるときもあって良い。
正義ですらさておいちゃうのだ。わ、オトナ。
飯を食っていくのは大変なことである。
でも、最悪飯が食えなくなっても良いと思っている。
そうでも思えなければ生きていてあんまり面白くない。
でも絶対にもう食いっぱぐれたくはない。
だから頑張るのである。
この矛盾の中にぼくは生きている。
こういう気持ちを全て、ごまかさずに感じていたい。
結果、ぼくは気ままに生きているのだと思う。
太りたいと常々思うのだが、食べれど食べれど全く体重は変わらない。
むしろステーキを450g食べた後に体重計に乗ると痩せていることさえある。
食べたカロリーよりも消化する際に使うカロリーの方が勝っているのだろうか。
いきなりステーキに足繁く通っているのに体重が落ちるなんてことがあって良いのだろうか。
太れるものも痩せるものも万人が同じ食卓を囲んで同じく太り、同じく痩せる、そんな世の中にならないものだろうか。
良く「食べないから痩せるんだよ」と言われる。きっとそれも正しいのだが、
その前に、食べても太れない故に食べることにモチベーションが湧かない問題があるのだ。
食べるのにもお金はかかる。沢山食べるのであればなおさらである。
食べて太れるのならいくらでも食べる。ただ、太れないのに食べる理由が分からない。
どうせ太れないなら、食べるなんていう行為は最低限生きていけるくらいの分で良いのだ。
なんて思ってしまうから、本当にダメだと思う。
ギターの音色に憧れて爪弾いてみるものの、憧れたあの音色は全然出せそうにない。
そりゃそうだ、と笑う。
それぞれ得手不得手というものがある。
やればできるというが間違いなくそれは嘘だろう。
努力するだけで報われるような世の中だったら、この世の中は成功者だらけだ。
だけれども、その努力は意味のあるものか、などと外野から騒いでるのを見ると、アホかと思う。
意味のない努力かどうかはそのひとが決めるのだ。
人の努力が云々と言っている暇があったら今サボっている時間を有意義に使え、と思うのだが、これもまたきっと外野の意見なのであって、なかなか対話は難しい。相変わらずギターは上手くならない。
自分の武器とはなんだろうと最近思う。
考えれば考える程なにもない。
それではいかんと思って、ちょっと日常を離れて考えてみる機会をつくってみた。
都会の外に出て思ったことは
武器がないことはそれほど問題なのか、というひとつの疑問である。
周りにひとがたくさんいるものだから、ひとよりも何かで優れていないと途端に不安が生じてくる。
自分は何をやっているんだろう。周りのひとはあんなに自分の得意分野で秀でているのに。
ヨガとかそういうちょっと見直してみませんか、的な路線が昨今流行っているのも
そういった焦りや不安から生まれたひとつの流れだ。
でも、そんなに武器を持つことは重要事項なのだろうか。
なんのために?
兄ちゃん、どこから来たの
東京です
へえ、なんでまたこんなところに
プチ隠居です
へえ、そりゃまたご苦労なこって。んで悩んでると。
取り柄なんてなんにも無いけど俺は生きてるぞ、なんなら歯もねえし金もねえ
東京の人はすごいと思うけどな、幸せかは分からんぞ
こんななんもない田舎に来ないと時々やってられねえんだもんな、
自分の居場所にいて窮屈になっちまうんだから
まぁ確かにそうですね
やこちゃんとの結婚生活が始まってもう数年が経った。
紆余曲折を経て、あるひとつの現時点での答えに行き着いている。
幸せを相手に依存してはいけない、ということだ。
幸せな状態でいるからこそ、互いに互いを慈しむことができ、より良い関係を築けるんだと思う。
相手に依存していると、してもらうことが当たり前になってくる。
それはお互いにとって良くない意識である。
してあげることがお互いに当たり前になったら、そしてしてもらうことは当たり前ではないとお互いに思えたら、とても良い関係だと最近は思う。
但し、よほどの人格者でない限りは正直そんなひとはいない。
なので、お互いに幸せであることが大事なんだと思う。
気ままに日々が過ぎてゆく。
時々こういう、棚卸しの時間は必要だ。
GW万歳。私は今週もずっと仕事で田舎で消耗しています。笑