1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

そばかすのない私なんて、星のない夜空みたいなものよ

 

 

 

 

 

 

ネオンに目が眩んで視界が揺れる。

繁華街というのは本当にいつも元気だ。

 

 

 

目があったやつは大体友達的なテンションで

居酒屋のキャッチが3秒に1回というのは言い過ぎだが

そのくらいの面倒臭いペースで声をかけてくる。

 

 

 

 

どうっすか、2軒目

安くご案内しますよ

 

 

お疲れ様です、

竹虎で〆るんすよね、もう

 

 

ああ、そうなんすね

またお願いしますね

 

 

 

 

みなさんお馴染みの某ラーメン屋の名前を出すと

諦めてすぐに離れていくという、

最近知った技で、浮かれた人の群れをすり抜けていく。

 

 

 

 

メイン通りを右に入りしばらく進んだ先の、元気な夜のお店の間に隠れた、

注意深く見ていないと気付かない雑居ビルの入り口に逃げ込み、奥に少し進む。

 

エレベーターは例によって全然来ない。

どうせまた上の居酒屋で、サークルか何かの団体が酔っ払って止めているのだろう。

 

左の非常用階段を下って、地下1階に降り、建て付けの悪い扉を開ける。いつも通り、あまり気持ちよくない音がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

急にさっきまでの騒がしい一切の音が消え、

聞いたこともないゆるりとしたジャズに変わる。

 

バーカウンターが奥に向かって続き、その先にテーブル席がいくつか並んでいる。

今日は少し混んでいるようだ。笑い声が奥から聞こえる。

 

 

手前のバーカウンターに腰掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、また来たの」と、呆れたような声を掛けられる。

 

 

 

 

 

はい

 

どしたのよ、今日は

 

や、特に何もないんですけど

 

何もないのに来たことないじゃないのさ

 

そうなんすよね

 

全くね~、お店としてはありがたいけど、家帰ってるの?

 

この前タクって帰ったらチェーン閉められちゃってて。笑

 

バカだね~、ほどほどにしときなよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばしば歌わせてもらっていた箱の近くのこの店に、ぼくは良く行っていた。

 

 

 

 

20歳のじぶんの抱えている大層な悩みなんてものは

 

マスターからしたらおそらくほとんどくだらないもので

 

 

 

 

ぼくは何かあると、マスターの「バカだね~」を聞きにそこへ行っていた。

 

 

 

 

 

 

少し背伸びをしたお酒を飲んでは呑まれ、

 

お子ちゃまはこれでも飲んでな、とモヒートを出されるその時間が、けっこう好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日も、ぼくはカウンターの端っこで良く分かってもいないお酒を飲んで、

 

マスターにああでもないこうでもない、とダメ出しをされながら笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、

 

並びに座っていた女性が話しかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あんた、いくつなの?

 

 

20です、お酒解禁です。

 

 

生意気だね~、こんなところで飲んで。居酒屋でコールでもしてなさいよ。

 

 

ぼくもそう思います

 

 

何それ

 

 

や、良く分からないんですけど、ここ良くないですか

 

 

ははは、何それ。

マスター、この子おもしろいね。

ここが良い店だってよ。

 

 

 

いや、良い店でしょうが!

 

 

 

ああ、そうだったか。はは。知らないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い店内でも一目でわかる、健康的な体や表情をしていた。

 

RIKACO的な感じ、とでも言うのだろうか、

良く焼けた肌に、白い歯が印象的だった。

 

 

 

 

 

 

だいぶ酔いが回ってきたじぶんとは逆で、かなりお酒が強いようで

 

ガブガブ飲んではケラケラと笑い、よく話した。

 

 

 

 

 

 

 

おもしろい人がいるもんだ、としみじみ思ったことを覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そばかすのない私なんて、星のない夜空みたいなものよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もはやなんの会話からこのことばが出てきたのかあまり覚えていないが、

 

 

 

たぶん、コンプレックスとか、そういう話になって

 

ぼくが、モテないとか、声が細いとか、そういう、

取るに足らない、くだらないことをたくさん言ったんだと思うが、

 

特に遮るようなこともなく、真面目に聴いてくれたあとに

 

そのひとが、ぼくに、そう言ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウイスキーか何かを指でかき混ぜ、カプリと一口飲んだ横顔が、眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま、受け売りだけどね、はは

 

どこかでね、なんかで誰かが言ってたのよ

 

 

 

全然わかんねーじゃないですか笑

 

 

 

 

うん、なんかの詩かなー、

 

何かの会話かなー、

 

 

 

 

とにかく、すごい良いなと思ったわけよ

 

 

不完全なものにこそ、良さとか魅力って宿ると思わない?

 

 

きっとあなたもさ、私も、マスターも、そうなのよ。

 

 

 

 

 

わたし実際シミとかそばかすすごいけどね、焼きすぎて

 

 

なんか良いじゃない?これも含めて私って。

 

 

 

 

 

かっこいいっすね。

 

 

バカにしてんじゃないわよ、ハハ

 

 

 

 

いやいや、してませんって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃね、私は帰るわよ~

 

君、おもしろいからまたどこかで会おうね

 

 

 

 

 

 

 

 

そう陽気に彼女は言って、ぼくの分まで払って帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから結局会っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスターも、あれから来ていないと言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数年が経ち、生活範囲が変わり、

 

すっかりそのバーに通うことも無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その出来事のことも、特段思い出すことはなかった。

 

けれど、そのことばだけは、ずっと脳裏に焼き付いていて、

何かあると思い出しては逃げ場にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっかけは、何かのニュースだった。

 

 

 

 

 

 

あれ、聞いたことある。

 

 

 

 

 

 

 

その、懐かしいセリフを読んだ瞬間に、

ぼくの中にあのときのことがフラッシュバックした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの数時間、嵐のようにぼくの中に入ってきて、

その言葉を焼き付けて去っていった。

 

 

あの人は元気なんだろうか。

 

そういえば名前も知らない。

 

 

 

もう、そもそも会ったのかも分からないくらいに

あの出来事は、不思議な、夢のような出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに、懐かしい道を通ってみた。

 

 

 

 

エレベーターは、相変わらず来なかった。

階段を降りて恐る恐る覗いた先に、

 

そのバーは、もう無かった。

あの気持ちよくない扉の音は、もう聞けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経験や思い出にしてはあまりに希薄なのだが

 

20歳の夏のこの数時間のことを、

 

ときどき、ぼくはこれからもこうやって思い出すんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たかが20数年生きただけでも、生きているとそれなりに色んなことがある。

けれどあの人の心持ちにはまだまだなれそうにない。

 

 

あの人はきっともっと、「いろいろ」あったんだと思う。

 

赦せるって、なんて難しく、美しいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またいつか、あの人とばったり会って、あの話の続きをしたい。

 

 

あのときとはまた違う話を、ぼくはできるようになっているんだろうか。

お酒も少しは飲めるようになったし、少しは相手になれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

そのときは、きっと、今度はぼくが奢るのだ。