1人と1匹のいきぬき

背伸びして棚に上げています。二日酔いが常。

結果、予想通りに不合理

新宿の電波が悪いのは、人が多いからだろうか。

そういえば昨年の12月にまだ紅葉が訪れていなかったのは、温暖化というやつの影響なのだろうか。

バナナの各所による値段差が激しすぎる。肉のハナマサは素晴らしい。

壁側を向いて立っているだけの男性を見ると立ちションだと思って身構えてしまうのはぼくだけだろうか。特に渋谷の宮坂パークから青山に上がっていくエリア。

ホームレスだってキレイ好きはいる。そう、そういう集落のエリアでそこにいる人と少し話して思った。ぼくより高いシャンプーを使っていた。

 

父に「かっこいいアーティスト見つけたぞ」と教えてもらったアーティストがエド・シーランだった。

化石かよ、とそのときは笑ったが、最近自分がハマったアーティストを友人に紹介したら「それ超有名な人だよ」と言われた。親子揃って化石かよ。「かよ」つながりだが、「こんな夜更けにバナナかよ」はおもしろい。「かよつながり」ってなんだ。わからない。ついでにバナナも伏線回収。できてない。

 

YahooとLINEが資本提携するというニュースが深夜のSNSを賑わせたことがあった。

資本提携そのものへの驚きのコメントの中、「誰がリークしたのか」という議論が最も多くの関心を呼んでいた。

犯人探しが好きな我々。ウォーリーをさがせが流行るわけだ。

 

闇雲に動いてもろくなことがない。

求めすぎても良いことなんてない。

「手に入らないこと、失うことが怖いのだ。」

程良く。適当に。ある程度。

丁寧に生きる、という言葉が

甘えに聞こえることが多々ある。

自分の欲求に忠実になる、とか

好きなことを仕事にする、とか

ストレスを与えない生活、とか

アホか、と思う。

 

 

いくつか、大切にしている言葉を紹介したい。

 

「楽しいんじゃなく、楽しくする」

大体の人がそうだと思うが、、仕事を楽しいと思うことって少ない。ぼくに至っては99.9999%くらいはやばい、どうしよ、死ぬ、この3つくらいの感情で埋め尽くされている。

クライアントの笑顔を見た瞬間に全てが報われるなどと言う人がいたがどれだけ徳を積めばそういう発想に行き着くのだろう。その人の笑顔を見ながら、ぼくは別案件の明後日までの提出物のことを考えているのである。早く事務所帰りたい。

 

「楽しい君」は、あちらからやっては来ない。

何事も楽しくする、という姿勢が必要なのである。

それはある種、バカになる、というのだろうか。

 

 

「自分の救いになることを仕事にする」

モノの言い方、捉え方の話だが、「好きなことを仕事にする」ということはなかなかこの年になって思うが持続可能性が低い。仕事にして好きでい続けることは、とても憧れるが、結構難儀だ。

人生で一番長い時間を費やすことだからこそ、それを好きでい続けたいし、それが無いと生きていけないものにしていたい。そう思ったとき、それは「好きなこと」なのではなく「救いになるもの」の方が良い。

それをすることで救われること。自分が自分でいられるもの。それはやもすれば好きなこと、とほぼほぼ同義なのかもしれないが、そこにはなにか無条件の大きな優しさが含まれている。

 

 

「じぶんとの約束を守る」

人は人との約束に固執しすぎだ。それは当然なのだが、自分ともっと向き合ったほうが良い。これは誰でも無く自分自身に言っているのだが、自分ともっと積極的に約束をしたほうが良い。それを日々クリアしていくことで、「自分自身に対する信頼」を積み重ねるのだ。自分自身に対する信頼こそが「自信」だ。

 

 

この3年間、自分とは別に「法人」という別人格を持つようになり、走り続けてきた。

曲がりなりにも様々な経験をし、大きく価値観の変わったこの3年間を振り返りたい思いに駆られて、今、パソコンに向かっている。

 

打ちたい内容を思い出した順に打ってみているが、これは敢えてこのままでも良いんじゃないかと急に面倒になって巨匠アーティストみたいなことを言ってみている午前3時である。

 

しかし3年ぶりの更新である。

前回のブログで書いた痔はすっかり良くなったものの、もしこの空白の3年の間にこのブログを訪れていた方がいた場合、彼らはぼくの痔の状況が気になって夜も眠れない2年間を過ごしていたということになる(ならない)。

とにかく、久しぶりにこのページを開いている。

 

 

この3年間、全ての状況が変わった。未だ変遷の途中、と言った方が正しいかもしれない。

様々なことに対する価値観、価値、ライフスタイルが一変した。

「コロナ」によるものが大きいことは明白である。

これまでの時間の在り方が一変し、何に時間を、お金を割いていくのか。

何が幸せなのか、という、これまではある程度拠り所のあった価値観が一気に崩れ去った。

 

コロナの一連の騒動の中で思ったことや変わったことについて。

 

Twitterをやめ、Facebookも見なくなり、

Instagramのストーリーに載せるには感覚的にキモい。

そんな行き場がなく外に出すことのできない気持ちをここに記している。既にキモい自覚はある。

 

コロナで仕事がなくなった、国が保証しろ、云々、死ぬほど周りで聞いた。私も、一度コロナで仕事の大部分を失ったうちのひとりである。

コロナごときに仕事を奪われるような仕事をしていた自分が甘かった。

それだけの話。

 

働いていればお金が入ってくる。

そもそもその前提がおかしい。

本来、お金を作らなければお金は入ってこないのだ。これは至極当然の話。

 

誰でも替えのきく仕事をしているにも関わらず、

仕事を奪われたときに自分の実力不足を疑わない人のなんと多いことよ。

コロナをきっかけに、これから、仕事に対して、自分のやれることに対して、もっと真摯に向き合わなければならない人が増えるんだと思う。自分含め。

 

もう大方収まってきた印象だが、昨年の半ばまでは外出が大きく制限され、好きなところへ行くことができなかった。そんな中会合をしていたり、外出していたことが報道された芸能人や政治家が多く叩かれたニュースを見た。

一方で、自宅近くのスーパーには、自粛故にたくさんのご飯をつくらなくてはならないお母さんが殺到し軽いパニック状態が起こっていた。

なにかずれている。

不特定多数が訪れるスーパーに歩いて行くよりも、車でレストランに行き貸切で特定数と夕飯を食べた方が安全に決まっている。

そんなこと、みんなきちんと考えれば分かるはずなのである。

ただ、それを理解したのちに、こんな声が聞こえてくる。

 

そんな外食出来る余裕なんて無い、車なんて無い。

それはそうするために努力を怠ってきたあなたが甘かったのだ。

こういうリスクがあるかもしれない。そう思わずに生きてきたことが甘かった。

そう思って自粛する他ない。有名人を叩いてどうするのだ。炎上してまたその人にお金が入るのだ。これが生きる力の差である。

 

 

 

コロナのような外的な圧倒的要因に限らず、人生において、流れだとか、ターニングポイントだとかそういった瞬間は確かにある。

 

うまくいっていたように思うことも、何かの拍子に崩れたり、逆にひとつのきっかけで見事にピースがはまり全てが円滑に進むようなこともある。

 

特に人間関係においてそれは顕著に思う。

昨日まで円滑な人間関係が築けていたにも関わらず、急に何か歪みが生まれたりする。

相手もまた人間なので仕方がない。

そう思いつつ、そうも割り切れない自分もいる。

これまで大切に思ってきた人が大切でなくなったことが経験上無いからだ。

 

何をされたとしても、一度大事にしよう、大切にしようと思った人のことはずっとそう思っていて、一度好きになった人はずっと好きなのである。

 

野田さんが昔歌っていたが「人の嫌いになり方」、-これ日本語間違っているとずっと思っているが- というものがわからない。

正直人を好きになることもそうそうないが、この人のために何かしようと一度思うことができたら、時間や労力を費やしたいと思い続けるのである。

故に人から離れたことはないが、人が離れていったことは何度もある。その度に、正直自分の無力さや情けなさを呪う。その人を幸せに出来なかった、その事実にめちゃくちゃ苛まれるのである。

 

思い返すとずっとその繰り返しである。

いつもどこかしらにささくれのような感情がぶら下りながら、それを消すことはできない、いや、消さないようにむしろ大事に取っているような、

そういう、何かを抱えながら一生懸命生きようとする人に自分は惹かれるのであり、感情を動かされ引き続き振り回され続けるんだと思う。

 

感情に任せて駄文を綴るのもたまには悪くない、と数年ぶりのまとまらない文章の言い訳をしつつ、本日は眠りにつこうと思う。

うつろい

 

 

何かおかしい。

肛門に違和感がある。

不思議なもので、これまでにない箇所の、これまでにない感覚にも、人間は明確な確信を持ってそれを感じられるのである。人体の神秘に改めて感心する。

 

偶然、月いちでメンテナンスをしている皮膚科クリニックと同じビルに肛門科があり、すぐに電話をして予約をした。感じている違和感、痒みに近いちくりとした痛みは、どちらかというと「門扉」というよりも、ちょっと出た「玄関先」の感じがしていた。 

頭にちらつく「痔」という悪夢。

しに濁点だったか、ちにそれだったか…

こういうときに、心底くだらないことを考えてしまうのはなぜなのだろう。

これもまた、おそらく一部どこかしら欠陥のある人間の不思議である。

学生時代、大学デビュー仲間うちで臨んだ合コンで酔い潰れうんこを漏らした友人の姿が走馬灯のように過ぎ去っていった。あのときは何もかもが楽しくて笑っていたが、今更だが翌日カレーを食べた自分の図太さを褒めてあげたくなった。

 

おばさんが出てきて、血圧を測った。数値に特に異常は無いようだ。もう少々お待ち下さいね、そう言うと奥に戻っていった。

 

待合室のテレビで、タレントが味噌カツを食べていた。

もううんこにしか見えない。今日はいつにもまして思考回路が最悪である。

 

ほどなく、先ほどと同じおばさんが自分の名前を呼んだ。

診療室に入ると、おじさんの先生と、その奥でおばさんがふたり何か作業をしながらこちらを見ていた。

良かった、若いお姉さんじゃなくて。超失礼ながら胸をなでおろす。

ちゃんと肛門は洗ってきた。おかげでがさがさとした痛みは悪化しているが、プライドの前にそれは致し方なし。必要犠牲、大義であった。

 

おじさん先生が口を開いた。

肛門科ってはじめて?

 

はい

 

そうですか、分かりました

 

何が分かったというのだろう。

 

ええと、肛門が痛いと・・・どんな痛さ?

 

なんか痛痒いというか、

しばらく腹を下していたのでそれが原因かと思うのですが

 

そうですか、まぁ準備しましょうか

じゃあよろしくね

 

はい、というとおじさんと入れ替わりで先程の血圧おばさんが出てきた。不思議なもので、初めて会ったおばさんでも、本日2回目となるともはやちょっとした遠縁の叔母くらいの知り合いの安心感がある。

 

じゃあ診療しますので、これから下を脱いでくださいね

 

ああ、はい

 

勝手も分からず、ただもう仕方ないと腹を括り、おばさんの目の前で下を脱いだ。

 

あ、今じゃないですよ

 

え、はい、すみません、

 

下げたパンツをそそくさと履き直す。

 

え、

何が起こった、今。

 

ベッドに上がってからですね、脱ぐのは

 

バカ早く言え、と言いたい気持ちを堪え、ベッドに上がる。

気を許していたが良く考えれば初めて会った知らんおばさんにただチ○コを見せ、そこまでは百歩譲って良いとして、

それを一瞥くれただけでしまえと言われた、この堪らない恥ずかしさよ。一応まだ男盛りである。ババアよ。

とは言いつつも、圧倒的な知の前に、人間は無力だ。肛門科童貞のぼくは今、このだらしない体をしたおばさんの言葉ひとつで、どれだけの羞恥をも晒せてしまうのだ。

 

あはは、びっくりしちゃいました、思ったより、ね、アレだったから

 

え、

なに。思ったより、なに。アレって、なに。え、

深まる謎。歳を取ると出てくる「アレ」をこれほどまでに恨んだ瞬間は無かった。

というか、え、て言い過ぎである、俺。

 

そしたら、足を抱えるポーズで、そうそう、その状態で診察しますので、そう、

ではここで下を脱いでください

 

今ですか

 

はい、今ですよ、どうぞ

 

なぜ俺はこんな必死に確認しているのだ。仕事じゃあるまいし。

脱ぐと、おじさん先生が出てきた。

 

はい、ではね、見ていきますよ

こんな感じで、指が入りますからね

 

そう言うと、肛門にズズッと違和感を感じた。

おお。初めての感覚に思わず吐息が漏れる。

 

どこらへんが痛いですか

 

入れた指がもぞもぞと動く。

まずい。俺の中の何かが目覚めようとしている。

 

どこ、と言うと・・・

 

ええとね、こっちが後ろ、と言いつつ尾骶骨の方に指をぐりっと回す。

 

おうふ、

 

それで、こっちが前ね、それでこっちが左

 

先生、分かりました、もう大丈夫です、もう大丈夫ですから

 

なぜ2回言った、俺よ。

穴があったら入りたいが、残念、すでに塞がっている。

 

それで言うと、左です、たぶん

 

あ、そう、でもね、傷があるのは後ろだよ

 

え、

こいつ、場所分かってるくせに指突っ込んで俺に場所言わせたの?

どういうプレイなの?そういうプレイなの?だからうまかったの?え、なんなの?

止まらない混乱。混沌。カオス。整理できない思い。恋。これが恋なのか。おっさんずラブなのか。んなわけ。アホか。

便所にこびりついたうんこのように頭から離れない違和感。

最後の一文はいらなかったので本当は消したい。

 

力抜いてね、はい深呼吸

 

抜けるかハゲ。

 

手前に傷があるね、

お腹どれだけ下しても小さい傷しかつかないから、たぶん拭きすぎたんじゃないかな

すぐ治るよ、はい、力抜いて

 

そう言うと何かを穴に突っ込んでプイッと液体を入れた。

また思わず声が漏れる。もう嫌だ。お母さん、情けない息子ですみません。

息子は今、扉を開けて、いや、文字通り開けられて、違うか、新たな境地へ足を踏み入れようとしています。

構わずおじさんは続ける。

 

これね、傷を直してくれるから、帰ってから1日2回、自分でお尻に突っ込んでね

慣れれば大丈夫だから

 

そういうおじさんの横顔は絶対に笑っていた。

悔しいがこのおじさんのテクニックは認めざるを得なかった。

 

じゃあ、来週まだ治ってなかったらまた来てください

 

絶対にいやだ。絶対に治す。

そう心に決めてぼくはクリニックを後にした。

 

 

こんな話はどうでも良いのだ。

 

 

 

 

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アイスコーヒーが喉から体を伝わって落ちてゆく。

喉が痛い。度々来るこの周期は何なんだろう。

 

風邪を引いたからといって、大差ない日々は続いていく。

毎日鳴る波の音のアラームも変わらないし、

ベッドから出てトイレに行くついでにケトルのスイッチを入れるリズムも変わらない。

昨日出しておいたアミノ酸の粉末を水で流し込み、冷たいシャワーを浴びる。

バスタオルも、着る白いTシャツも、同じものを5枚ずつ持っている。それらを洗う洗剤も柔軟剤も、洗面台の下に2つずつストックしてある。それらはもう数年変わっていない。

 

タオルで頭を拭きながら戻ると、キッチンには既に朝イチの大仕事を終えたケトルが誇らしげに熱気を纏っている。

バスケットに無造作に重ねられたポタージュと味噌汁の粉末から適当なものを選び、何かの頂き物のカップに入れ溶いてゆく。

昨日買ってきた、ハチミツを練り込んだパンにまたたっぷりとハチミツをかけ、朝ごはんの完成だ。

 

アイスコーヒーは作り置きしている。

たっぷりのお湯を沸かし、濃い目に落としたホットコーヒーを、氷で冷却する。

サウナが好きだから、このとき水風呂の要領で一気に冷やすと、アイスコーヒーがより締まる気がする。

バカはいくつになっても治らない、とは言うが、こんなちょっぴりの、だがたくさんのこだわりに囲まれて、ぼくは変わらない毎日を過ごしている。

 

変化が嫌いになった。

コーヒーはできるだけコロンビアが良いし、TシャツはMackintoshのが良い。

左利きだが時計は左腕に着けたいし、靴下は右から履きたい。

だから周期的に喉痛が来ることは悪くない。

そろそろだと思えるからだ。

予想外なことが起こると、分かりやすく狼狽してしまう。

波風立てず、日々を暮らしていきたい。

 

カップに口を付け、じゃがいものポタージュの熱さを憂えながら、カウンターテーブルで充電器に繋いだPCを開く。

SNSを仕事のコミュニケーションツールにすべきじゃない。こう思うのも毎朝のルーティンだ。LINE、Messenger、Slack、ChatWork、それぞれのアイコンの右上に、気が滅入る数の数値を飲み込んだ赤丸がついている。

変化しかない目まぐるしい日々がまた始まる。

ふぅ、とPCから目を離し息をつく。朝のはじまりのここまでの静かな日常は、本当はのんびり暮らしたい自分に対しての免罪符である。ハチミツの甘さが優しく鼻を抜ける。ポタージュはまだ熱くて飲めない。冷めるのを待てないPCが、ピコン、と大量のメールが届いたことを知らせた。

 

 

数日、暇を頂いてひとり、旅行にでかけた。

顧みない日々の中で少し身体のバランスが崩れてしまったことで、籠って自分を見つめ直したい、そう思って向かった先は、自然に囲まれた静かな旅館だった。周りには何もなく、優しくもピンと張り詰めた緊張感のある、半袖だといくらかひんやりと感じる空気が流れている。ただただ下を流れる川の音だけが、世界にまだ音があることを教えてくれていた。

 

部屋は質素ながら、おそらく最近替えた新しい畳の良い香りに包まれた、一目見て良質と分かる素晴らしい空間だった。

川を見下ろし夕焼けを望むことのできる西向きの角部屋で、窓を開けると檜の風呂があり、少し色のついた温泉が湯気を上げて迎えてくれた。

沈みゆく夕日を拝みながら、湯と檜の香りに包まれ、ゆっくりと湯に浸かった。

風呂から上がり、旅館の推しと予約サイトに書いてあった夕食の御膳を頂き、窓際の椅子に腰掛け、自宅から持ってきた数冊の小説のうちのひとつを読んだ。

いつぶりだろうか。これほどまでに充実した気持ちになったのは。

 

明日は、少し近くを歩こう。

近くに美味しい蕎麦屋があるらしい。

折角だから色々と回ってみよう。

 

あれ、とふと思う。

静かな日々を過ごしたい自分にとって、本来この感覚は悪だ。注意深く暮らしていかなければならない自分に対して、ここから今すぐにでも飛び立っていきたい自分は好きじゃない。人に迷惑をかけないように、簡単に何かに飛び付かず生きていきたい。そう思っていても、予定通り今この部屋で籠もって過ごしていたい自分のことも、外に出てさまざまなものに触れたいと感じる自分のことも、何か同じものを求めていて、今は自分らしい気がする。

 

変化を求めないのは、変化したいから、なのだ。

変わりたい、そう強く願う気持ちが、変えまい、という強い日常の自制心に現れているのだ、という仮定がとてもしっくりきた。

 

ただ、変わりたいと願う気持ちの向かう先を宙ぶらりんにさせていてはいけない。主体性のない人間は、目標がない人生にも無邪気に全力になれてしまう哀しい性がある。最近のぼくは、ギアの外れた自転車のように、カラカラと虚しく空回りし続けていたのかもしれない。

 

 

 

 

数日経ち、出て行った時と全く変わらない現実に戻ってきた。

毎日、朝目が覚めて時計を見やると、止まっているのかと錯覚するほど針は2本とも仲良く5と6の間に収まっているし、洗面台の横の細長い棚を開ければ白いタオルとTシャツが2段ずつ並んでいる。

相変わらずケトルは誇らしげだし、PCはせっかちで、ポタージュはまだ熱い。

 

フライパンを出し、手前のコンロに起き火をかける。冷蔵庫からベーコンと卵を取り出し、熱したフライパンに少し油を引きベーコンを並べる。パチパチと軽快な気持ちの良い音を立てて、ピンク色から肌色、褐色へと変わっていく。白い皿にカリカリになったそれを取り出し、油を残したまま今度は卵を割ってそこに落とす。ジュッと一瞬戸惑った様子を見せた後、見る見るうちに透明が白へと変わっていく。カップに用意した水を流し込みフライパンに蓋をすると、世界は一瞬で霧に包まれた。軽快な音は消え、ゴーッという籠もった音だけが響く。少しして蓋を開けると、程良い半熟の目玉焼きが出来上がっていた。ベーコンの上に乗せ、白い丸皿をポタージュの隣にコトリと置いた。パンを頬張る。ハチミツの香りが鼻を抜ける。半熟の目玉焼きの黄身を纏ったベーコンをつつく。ポタージュは丁度良い温度だ。今日は珍しく、キノコのポタージュだ。

 

明日はスクランブルエッグにしようか。

明後日は卵焼きか。そうなるとパンよりご飯の方が良いか。

食器を片した後、冷たいアイスコーヒーを流し込む。喉はまだ少し痛い。もうあと2日もすれば良くなり忘れてしまうのだろう。

カーテンを引き、窓を開けると、秋になり切れない夏空が目の前に大きく広がり、夏の匂いを残した秋風が吹き抜けた。

 

夏は嫌いだ、

 

 

うだるような暑さの中、何となく誰もが開放的になる、楽しく乾いた季節。

染まる頬を沈みゆく夕焼けのせいにできる、甘酸っぱい恋の季節

甲子園、球児の汗、涙の結晶、自分の青春の全てが詰まった、大切な季節。

Tシャツと短パンさえ履いていればそれなりにキマる、センスのない自分のような人間には楽な季節、だったりもする。

夏がずっと好きだった。

 

 

 

もうだめか、そう思ったのもこの季節。

あとは断片的な記憶だ。まだ拒否しているらしい。

ふわふわとした感覚と、ガツンと頭を殴られたような、強烈な胸の痛みを伴う感覚と。

 

 

「季節柄もあるからね、」

 

そうクリニックの先生は膠も無く言った。

 

 

毛穴から吹き出す汗。波打つ鼓動。

湿ったTシャツが背中にへばりつく感触。

それが冷房によるものなのか、冷や汗なのか、急速に冷やされていく、背筋の嫌な感覚。四肢が痺れる。それを他のもののせいにしたい思いで、酒に手を伸ばす。

健康診断で肝臓には「要検査」と書いてあった。

 

 

 

 

ご縁はあるよ

 

それは良かった

 

でも伝えるのが下手だからね

 自分を変える努力が必要よ

 

うん、そうだよね

 

「ママ」と呼ぶ、友人のお母さんとは、会う度色々と話す。

 

 

あんまり一般的な常識とか、正しい考えを持てないの

変人、変わってるのよ

でもね、良いところはとにかく優しいところ

思いやりがあって、反面騙されやすいのね

 

そうかあ

 

それだけあれば、充分かも、なんて思う。

だらしのないタイプに思われないよう、言いたいことは我慢せず言う。

それだけ意識できれば、良いのでは。だめなのだろうか。

 

 

最近気づいたのだが、自分に自信を持つというのは本当に難しい。

仕事で毎日何かしらトラブルは起こる。うまくいくことなんて本当にひとつもない。

毎日落ち込む。

毎日反省して次こそは、と無理やり自分を奮い立たせなければ、気持ちは持たない。

そんな中で、自信なんてものはこの年になってもなかなか湧いてこない。

頑張ったことなんて結果が出なければなんの意味もない。

うまくいかないときに、うまくいかないことは重なるように世界はできているのかと思うくらいに、やったはずのことでさえも、なにかの手違いで違った方向に向かってしまっていて、同じタイミングでそれが発覚する。

 

自信を持つということは本当に難しい。

 

 

死を意識して初めて生きることを実感する、と誰かが言っていた。

生きるということはそこから始まるのである。

死にたいと思って、毎日ギリギリまで頑張ろうと思っているものの、一向に死ぬ気配はない。最近変わったことは切れ痔になったことくらいだ。

 

 

死にたいと思っているやつは死なない、なぜかね

 

そう言って先輩は笑った。

 

お前もそのタイプだな、

 

 

長生きしたくない。こんな毎日なら死んだほうがマシだと思う。

超えたいと思うが、そう思って努力はするが、全然超えられない。

一時の快楽や一過性の愉しみで賄えるほど器用な処世術は持ち合わせておらず、

故に自信なんてものは全くと言って良いほど持てない。

限りなくゼロに近いでもない。ゼロなのだ。

 

楽しいと思うことをしたほうが良い。そう言われることが多い。

楽しいことって何なんだろうか。今そう思えることは正直無い。

楽しい、と心から感じたことってこれまでの人生であるのか。あるはずだが思い出せない。

楽しいと思うために、どうすれば良いのだろう。その感覚を正直忘れている。

 

 

ー楽しんでいるか?

 

 

皮肉にも、昔口癖のように問いかけていたこの問いを、今ぼくは最も恐れている。

旅行先で、適当なバーで飲み、隣りにいた女性と話し、そのまま一晩を共にした。

一糸まとわぬ姿で額に汗を光らせながらベッドに転がり、あっけらかんと笑っている彼女を見たときに、

無性に愛おしくなり、哀しくなり、可笑しくなり、涙が溢れてきた。

笑うのを止め、なんで泣いてるの?とその人は起き上がり怪訝そうな顔でこちらを見たが、なんでも無い、とだけ笑い、その子をまた抱き寄せた。

 

なんのために、なにがしたくて、ここにいるんだろう。

 

 

 

映画を最近良く見る。映画に行く夢もよく見る。

映画は楽だ。すぐに違う世界へ行ける。

何をしたら良いのか分からない、そんな夜がある。

何もしないと、たまらない気持ちになる。

そんなときは、映画館に行く。

何でも良い。自分をこの世の中じゃないどこかに連れて行ってほしい、そんな気になる。いなくなれ、群青。ぼくも階段島に行ってしまいたい。

 

 

 

先輩、俺、どうすれば良いですかね

 

ゆっくり考えれば良いんじゃないか?

 

そうしたら出てきますかね

 

 

 

 

そうしてもう1年が経っちゃったんですよ、俺、

 

そう言いたい思いを抑えて、酒を流し込む

 

 

なんの進歩もない1年を過ごそうとしている。

 

 

明日は何をして過ごそう。

仕事しかないか。でもこのまま寝られる気がしない。

そうしてまた夜な夜な街に繰り出す。

 

 

 

 

知ってると思うけどさ

 

そう、母は言った。

 

 

あなたの前に、ひとり流産しているじゃない?

 

うん

 

だからね、あなたが生まれてくるその瞬間まで、怖くて仕方なかった 

あなたが生まれてきて、ちゃんと生きていることを確認できてはじめて、安心した

それまではずっと不安だった、また命が失われたらどうしようって

あなたはしっかり生まれてきてくれたから、そこで初めてその不安を克服できたのよ 

 

 

上書きでしかないんだろうな、と思うよ

 

 

どれだけ没頭して働いたとしても、同じだけ愛するものがないとそれは決して無くならない。

それは必ずしも女性というわけではないことは、唯一の救いだ。

 

 

 

 

 

 

まったく、夏は嫌いだ。

 

楽しいことは無いだろうか。

我を忘れて、没頭できる何か。

 

デザインが生まれる瞬間にいることはとても好きだ。

ただ、これが俺のしたいことか。

 

自分の空間ができた。その感動を伝える先があった。そこに喜ぶ笑顔があった。

それが幸せだった。結局、ぼくの人生にぼくだけの人生は存在していない。

「誰か」がいて、だからこそ、ぼくはデザインが好きだった。

今、ぼくは誰のためにデザインしているんだろう。

クライアントのため。それは言わずもがなそうである。

ただ、その「デザイン」を手段として、ぼくは自己表現をしている。

誰しもそうだろう。誰のために?それが、今わからない。

近くにあった喜ぶ顔を見て、ぼくは頑張ってきた。

これからどうしよう。それがこの1年間、答えのない問いである。

 

 

 

 

 

夜道が心地よい季節になってきた。

何のことはない、今日も1日が終わっただけである。

 

ただ、それだけのことである。

 

駅前でサラリーマンたちが楽しそうに笑っている。

キャッチのお兄さんたちも忙しそうだ。

 

人混みをすり抜けて、家路を急ぐ。

恵比寿の街は、今日も騒がしい。

 

もう顔馴染みになってしまったキャッチのお兄さんに声をかけられる。

強くは誘ってこないところが好きだ。

 

今日もおつかれさまです~

 

そう言ってエナジードリンクをくれた。

何もないのに、この人はいつも何かくれる。

 

 

携帯が鳴った。

一度お店に行ってから、気にして連絡をくれるスナックのママからだった。

 

大丈夫?

また何かあったら来なね

飲まなくても良いから

歌うだけでもさ

バカ、暇なのよ、来てちょうだい

 

いろいろな人のそれぞれの優しさで、この街はできていると思う。

 

 

 

 

 

 

姉はすごいよな、しっかり自分の夢に向かって確実に歩んでる

 

何言ってるのよ、違うわよ

あの子だってね、わからないわよ、先なんて

今できることをやるだけよ

 

母は、強い。

 

 

 

 

ああ、そうか、そうなのか、

姉も、そうなのか。

 

答えのない日々が、ぼくには違和感だった。

何か明確な答えがあって、そこに向かっている確信があることが、大事だと思っていた。

 

答えを探すことが、人生なのかもしれない。

それを見つけることが、日々、ということ。

抱えながら、模索しながら、葛藤していくことが、生きるということ。

 

いつから、そう思わなくなったんだろう。

それって今のぼくにとっては、とても新鮮なことだった。

 

 

 

もう少し、自由に考えたら良いんじゃない

 

 

確実なことなんてない、と知ったこの季節に、

嫌いだ、そう突き放した夏に、

またぼくはそう、優しく、教えられている気がする。

 

嫌いになんてなれない。夏が好きだ。

 

優しく顔を撫でていく風に揺られながら人気のないガーデンプレイスを歩く。

 

 

ゆっくり、探していけば良い。

見つかるまで、たくさん悩めば良い。

 

 

今日が終わる。

不確かな明日がまた来る。

それだけだ。みんなそうなのだ。

 

 

ツギハギ

あんたはさ、カッコつけちゃったんだよ、カッコつけてだれも頼らずに頑張っちゃったのよ、良い旦那をやり切ろうとしちゃったのよ、もっとジタバタしなさい、それで良いの

 

母の言葉に不覚にも泣いた。

世の中は良い人で溢れている。頑張れ、という人も、頑張ろう、という人も。頑張りすぎるな、という人も。

皆、それぞれの思い遣りだ。全ての言葉が有り難い。

そのタイミングで、自分に一番必要な言葉を拾い集めてぼくらは何とか生きている。気がする。

実家に顔を出した。

懐かしい最寄り駅からの道。

なぜか、いつ通っても懐かしい。確か最近も来たはずなのに。

じいさんに焼香を上げて挨拶を終え、テレビの前でぼうっとしている祖母に声を掛ける。

いつも通り、ぼくが来たことにそれまで気づかない。

 

ああ、いらっしゃい、気づかなかった

いや、今来たところだよ、ただいま

おかえり、ゆっくりしていきなさいね

父と母と話す。最近の話、これからの話。いつも同じだ。

散々迷惑をかけてきたので、何かあるたびに報告するようにしている。

ぼくの自己満足、罪滅ぼしに過ぎないのだが、親はそれも分かった上で、きっと聞いてくれている。

ボスの話、せわしない日々。

別れてからの気持ちの動き。踏み出す一歩。

まだ、気持ちの整理がついたようで、切り替えは難しい。論理ではない、抗えない感情。その話もできるだけ触れなければいけないときは話すようにしている。

 

そのときに声が震えている自分に気づく。何故か涙が溢れる。

それね、トラウマだよ

そう母も、泣きながら言った。

 

あんたはさ、カッコつけちゃったんだよ、カッコつけてだれも頼らずに頑張っちゃったのよ、

良い旦那をやり切ろうとしちゃったのよ、もっとジタバタしなさい、それで良いの

 

何がやりたいか、じっくり考えて、聞かせて

そう、仕事でお世話になっている尊敬する方は言ってくださった

 

何かつきものが落ちかけているような、そんな感覚はある。

背負いすぎていたんだろうね、そう母は言う。

充分好き勝手に生きていたと思っていたのだが、

とことん何かに没頭する面白さを今身に沁みて感じているのも事実だ。

 

名が知れた人になりたいと思う。

もっと稼ぎたいと思う。もっと良いものを食べて、良いものを着て生きていきたい。

この人の役に立ちたい。親に毎月何か贈りたい。良いもの食わせたい。

モテたい。たくさん働きたい。たくさん遊びたい。

10年。この期間で何者かになりたい。そうでなければ生きている意味がない。

人生は短い。寝る時間がもったいない。ずっと何か知識を浴びて成長していたい。

欲にまみれている自分って悪くないと思う。

 

斜に構えている自分が、惨めに見える瞬間があった。

自分燻っているなあ。自分で自分を抑えてしまっていた。

結婚が足枷になっていたなんて思いたくないが、そういうタイミングがあったのかもしれない。

女の好み狭そうだよね。

きれい好きでそれを相手にも求めそう。

そんなことを仲の良い女の友人に言われた。

 

 

今の自分は、という前提だが

口に入れるものは何でも良い。家の中もこだわりはない。どうでも良い。最低限の生活レベルがあれば良い。

仕事で昨日よりも何かができるようになりたい。自分よりもすごい人より働いていたい。でないと追いつけない。

でもそんな自分が、これからずっと続くとも思っていない。

それは悪いことじゃない。でも今自分にできることは、死ぬほどやっていたい。

矛盾を、以前よりも多く抱えて生きている。そしてそれを、解消せずに持ち続けている。それがまた、悪くないことだと思えている。

 

 

二日酔いが日常になると、その状態が当たり前になる。

今日顔色良いね、と仕事の先輩に声を掛けられた。そういうものである。

23時くらいは、まだ早い時間だと思っている。

まだ起きてるの?と友人に驚かれたわけだが、だいたい2時までは外で仕事をし、体力次第では3時からジムに行く。最近は専ら日の出を見ながら寝る日々だ。

人は慣れる生き物である、とするならば、試しもせずに持続可能な生き方に走るのは可能性を殺しているとしか思えない。眠いから寝るのではない。寝なくても大丈夫になったら、最強じゃなかろうか。…共感がないことは分かってるんだけど。

 

離婚したことに、少々触れたいと思っている。

これはとても大きいことだ。酒に逃げ続けてきた自分にとってはとてつもなく大きな変化だ。出会いを求めずにただ仕事と趣味に没頭しているだけなのだが、世の流れというのはおもしろいもので出会いが最近多い。疎遠になっていた知り合いからの連絡と、人の紹介が100%だ。

誰かと一緒になりたいとは思わないし、冷静に見た目だけで見れば元妻が断トツで優勝である。

ふとした拍子に画像のスクロールなどで写真が出てきて、寝ぼけていると「誰これ超かわいい」とついつい止まってみてしまう。元妻だと気付いて、そりゃそうだ、とひとりで納得している。だから何、というわけではない。これでも冷静に見ているつもりだから末期だ。

 

誰かのために働くことのやりがいもまた、とても良いことだと思うが、

自分のために働くということが、こんなにも楽しいものだと、この年になって初めて知った。それがとても嬉しい。

やりたいことをやっているとこんなに帰りたくなくなるものなのか、と初めて知った。

やりたいことをやっていると、こんなにも時間が経つのが早いのか。

やりたいことだけをやっているとこんなにも肌ツヤが良くなるものなのか。ここのところ良く言われるが、たぶんそこらへんの誰より睡眠時間は少ないし、酒も飲んでいるし、ラーメンも食べている。

明日死んでも良いと思えるだけ毎日頑張ることは、とても幸せなことだと思う。

いつまでこれが続くかなんてわからないが、そんなことを考えることすら無意味なくらいだ。

楽しい。これからもっと大変なことが続くと分かっていても、面白い、嬉しい。

それをもっと見たい。知りたい。やりたい。

帰りたくない。誰よりも間近でやっていたい。

早くできるようになりたい。明日やろう、なんてそんな時間はない。

苦しくなる。1日が短すぎる。もっと、もっと。

でもそれが楽しい。今日もがんばった。今日も俺クソだった。そう思える毎日がとても刺激的だ。こんなこと、これまで無かった。いや、あったんだと思うが、ここまでベクトルが自分に向くことはなかった。

 

デビッドボウイが言っていた。

自分のやることが「誰かのために」なんてことは絶対にありえない。

グサリと心に深々と刺さった言葉が、ずっと抜けずに残っている。

あまりに純度の高いその言葉を前に、ぼくは今何も言い抗えない。

実際早死にするかもしれないし、モノにならなかったらそれこそ悲劇なのかもしれない。

持続可能な生活がやっぱり大切なのかもしれないし、健康的な生活、この歳で送るべき生活というものがあるのかもしれない。それでも、今、自分のやっていることが正解だと、心から思う。

早死になのかどうかは、自分が決めることだ。

個人的にはもうだいぶ生きた気がしているし、いつ死んだってもう良いと思っている。妻一人幸せにできなかったのだ。

モノにならなかったら、という恐怖は誰よりも持っている。と同時に、それが無ければつまらない人生だとも思う。

持続可能かどうかは、今現在実験中だし、健康的な生活で言えば、昔良く寝ていたときよりも精神的に健康だ。

周りの人は大切だし、本当に尊敬している。

ぼくのようなクズとは違い、相手を幸せにできている人が多い。

でも、人と同じでなくても良いのだ。

スピード感ある人生を歩んで、スカッと死んで大切な人に笑ってもらえれば、それで良いのだと最近思う。

そこに集まる人が少しでも多ければ幸いである。40で死ぬとしたら、あと10年とちょっとだ。何が自分にできるのか。

あいつは面白いやつだった。それで晩酌が少し旨くなるような人になれれば本望である。

もう死んでも良いと思える経験があと10年でどれだけできるのか。

 

タトゥーを入れたい。

親にもらったこの身体、とはよく言うが、親にもらったこの生命、できる限り燃やしていたい。

 

前トゲ抜かれてんなって思いましたもん

またやっとトガッてきましたね、良かった

 

この前立て続けに後輩と飲んだのだが、まったく同じことをふたりに言われてハッとした。

礼儀を知らない後輩がとても好きだ。

 

休んじゃだめだ。アイディアが枯渇する。バカになる。アイディアが生まれる瞬間をどれだけ逃してしまうのか。

呆けてしまう。ただでさえ無い頭を振り絞ってあの人にほう、と言わせるにはあの人よりも考えるしか無いのだ。

どれだけそのことを考えられたかどうか。それは、長さではなく深さ。ずどん、と一気に深く潜れるか。

急には潜れない。日々の積み重ねが、それを可能にする。水の中に居続けること。水際で準備を怠らないこと。

走り続けなければ、考えは浮かんでこない。

頭がずっと宙に浮いている感覚。

このときはなんにも浮かんでこない。なぜそうなるかというと、休んだからだ。恐ろしい。

ゆったりとした空気が頭に入ってくると、途端にバカになる。どうにかならないものだろうか。

 

人との出会いに一喜一憂したくない。

嫌な自分が表に出てくることを抑えられない。

自分を抑えるのをやめた。言いたいように言って、やりたいようにやる。

それでも自分といてくれる人と一緒にいられれば良いのだ。

本当に良い人がたくさんいると思う。ぼくだったら、ぼくのことはとことん嫌いだ。こんなやつ。

 

雰囲気を出すのがうまいと言われた。

ぼくは根っからの人見知りだ。話すことがないから口元を隠す癖がある。

口の前で手を組むから、何かちょっとした雰囲気が出るんだと思う。

何のことはない、ただの人見知りだ。不安なのだ。

 

人と自分を比べない。それがメンタルヘルスの第一歩だ。

稼ぐに越したことはないとは思うが、稼がなくたって良い。

それよりも、なにかに向かって没頭する姿勢が大事だ。

これがぼくにとっては逃げだが、ひとりだから言えることだ。

こう考えるようになってから、気持ちが楽になった。

 

夜になるのが早い。怖い。

1日を無駄に過ごしてしまった、と思うことがたまらなく悔しい。

1分たりとも、1秒たりとも無駄にしたくない。好きな人と好きなことをする。それ以外何もしたくない。

怒れる人になりたい。自分がやりたいことへの経験が無さ過ぎる。

ずっと残る空間をつくるときに、折れない拘りを持ち、それを人に良い意味で押し付けられる人になりたい。

つかの間の空間ではなく、残るものをつくりたい。それができるようになったら、死んでも良い。それができなかったら、死んだほうが良い。

 

 

風邪って、大罪だと思う。

仕事100%の毎日を、誰に言われてそうしているわけでもなく送る。

自分が何を好きなのか、自分にも良く分からない。

野球が好きだが、今から選手になんてなれないし、

ファッションが好きだが、服を仕事にする気もない。

時計はそろそろ変態的に好きだが、それが仕事になるなんて思わない。

何かをしていることが好き、という瞬間が見つからない。

本を読むことは好きだ。靴を磨いているときは好きだ。

プロジェクトが形になったときの感動は好きだ。その後の飲み会も好きだ。

どんなプロジェクトなのか。それは正直、どうでも良い。

人道を外れていないことでなければ、誰かと、何かをやり遂げることは、とても好きだ。

ただこれだけは言える、と思うことでいえば、現場が好きだ。

なぜ好きかと言うと、事件は会議室では起きないからだ。必ず現場で起きるからだ。

当事者でいたい。矢面に立てる格好良い人でいたい。不器用で良いから。でもそれが、とても難しい。

どうしても外せない用事があり、2日間現場を離れてしまった。

その間に、たくさんのことが起こった。2日前とは、全然違う現場が、そこにはあった。

その時点でぼくはもう、矢面には立てない。現場人では無いのだ。

必死で追いつかなくてはならないが、もうそこには、ぼくを必要としていない環境が広がっている。

現場に携わる人すべてが、最低でも100%で取り組まなくてはならない。

ひとりでも90%がいると、現場はダメになる。風邪なんてのは、現場にとっては、大罪なのだ。

ぼくが選んだ用事においては、現場で、当事者でいられた。

でも、仕事の方ではもう、ぼくは不要な存在となっている。

2日間の遅れを取り戻すには、どれだけかかるのだろう。

日々の選択というのは、生半可な覚悟でできるものじゃない。

そのひとつひとつで、ぼくはじぶんの現場を捨て、どこで矢面に立つかを選んでいる。

その選択たちがで、ぼくはできている。

 

 

自分が分からない。

こんなにシンプルな生活になったのに、自分のことが分からない。

なんであんなことになってしまったのか。なんで今こうなっているのか。

自分のことがいやで、変わりたくて仕方ない。

人見知りで、酒にすぐ呑まれて、ひとりでは生きていけなくて、見栄っ張りで、痩せっぽっちで、

そのままでも良いんだよ、という優しい言葉に甘え続けてきた。

でも、それじゃだめだと常にどこかで思っている。そのままで良いことなんて世の中にひとつも無いんじゃないか。

このまま中途半端に適当に稼いで暮らしていて何が楽しいか。絶対に違う。そんなクソみたいな人生は嫌なんだ。

 

今とは別次元のステージの仕事人になりたい。

今では出会うはずのないステージの人と出会って、もう1回、あのときの強い感覚を味わうのだ。

 

気怠い感覚のまま、とびきり熱いシャワーを全身に浴びる。

血が一気に体中を駆け巡る。丁寧に前進を洗って、歯磨きも念入りに。

ふわふわのタオルで身体を拭いて、濡れたままの髪をそのままにジェルで中村アン並に一気にかき上げる。朝のルーティンだ。

ジャケットの右内ポッケにマネークリップ、左ポッケに携帯とイヤホン。昨日の夜に考えた内容を読み直し、PCを閉じリュックへ。家を出た瞬間に風が全身に行き渡る。頭が一気にクールになる。よし。やるか、今日も。

パンクした自転車はなかなか直せない。不幸中の幸いなのか、歩いている時間はけっこう大切だ。

 

 

 

おっす、おつかれ。今どこ?

 

恵比寿っす

 

そかそか、俺新橋。飲むか

 

行きます

 

 

 

 

おつかれ~今どこ?

 

家っす

 

今恵比寿なんだけど、一杯どうよ

 

行きます

 

 

 

 

おつかれ、銭湯いきましょう。

 

ですね、行きましょう

 

 

 

 

 

こんな毎日だ。仕事はしたい。だけど、自分の仕事ごときで人様の厚意を無駄にしたくない。

仕事もやれば良いのだ。好きな人からの誘いは断らない。断れないんじゃない。意志だ。

何かを期待しているわけではない。計算ができるくらいならもっとうまく色々やっている。

自分に気を掛けてくれる人へ自分ができることなんてのは、そのくらいなのだ。ただ真っ直ぐに向き合う。それだけだ。

行ったら行ったで、何ができるわけでもない。

お酒を注いで、一緒に飲むだけだ。特に感動を与えられるような話もない。

だったらいかに早く駆けつけて、いかに話を聞けるか。そこしかない。

ちょっとしたことを全て毎回やれるか。

人見知りの自分は新しい環境では緊張して動けないこともある。いつも後悔する。

そのときにいかに言い訳しないか。しっかり謝るのだ。

知っているどんな些細なことでも聞く。絶対に相手のほうが詳しいのだ。自分なんかよりも。

なんにも知らないやつだと誤解を招いたって最初は良いと思っている。

とにかくついていく。そして思ったことはしっかり伝えていく。そこから生まれるものがあると思う。

 

もうおっさんだ。

40までとして、もうあと10年で終わりだ。誰に何を残せるだろう。

ふたりの人生は最高だったが、ひとりの人生にあの生き方はつまらなさすぎたのだと思う。今日は何をしたか。明日は何をするか。

予定調和ではない人生こそ刺激的だ。

 

 

結婚してたときより、今のがずっと素敵よ

その言葉が、真理だ。

 

もっとジタバタしなさい、それで良いの

それこそが、人生の楽しみ方なんだろう。

 

 

手を伸ばせば届きそうな空だった

 

 

 

 

 

おはよう~

 

気怠そうな声が背中の向こうから聞こえて目が覚めた。

 

あのひとが来たってことはもうそんな時間か。

まだ太陽の光を受け止めきれずにいる目を無理やり開いて顔を向ける。

 

 

あ、おはようございます、今日も早いっすね

 

おはよう~

何、今日も朝までやったの?

 

はい、終わらないんで

 

メリハリ大事だよ、メリハリ

 

メリハリのメリってなんなんですかね

 

あんたよく起きてすぐそんなこと考えるよね

 

だって寝たのさっきですもん

 

どういうこと?

 

分かりません

 

はい、珈琲。と、レッドブル

 

ありがとうございます、助かります、後者

 

前者は?

 

前者も、特に後者

 

 

 

 

おは4を合図に仮眠をとる。

来た人に起こしてもらって1日が始まる。

そんな生活いやだ。といって社会人になりたての頃は敬遠していた生活ももう慣れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事上がり、お世話になっている同業の先輩と銭湯に行った。

 

 

 

 

 

俺も、お前と同じだよ、てこの前言ったじゃん

 

ひねり出さないといけない、いつまでたっても

 

でも、それでしか得られないものがある

 

それを目指して俺も毎日やってる、でもそれって良いじゃん

 

 

 

 

 

 

 

確かに、超えた日があった。

 

実力が上がっていたのかも正直分からない。たぶんそれは幻想だ。

でも、あれだけやった、ということはそれだけで大きな自信になる。

自信は、説得力になる。説得力は、実力になる。

 

と、するならば。

誰もいない中PCと向き合う深夜に、

なぜか流れてくる涙の虚しい味。なぜか漏れてきて止められない笑み。

あの夜にいくら考えても出てこなかった答えを求めて彷徨うこの夜は

あそこにきっとつながっていると、信じても良いんじゃないか。

 

信じて迎える明日の朝に、これでいこうと、そう思える一片の変化がそこにもしあるのであれば。

文字通り歯を食いしばってひねり出すクソみたいな一案は、決して無駄じゃないんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

先輩は、そう伝えたかったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休みの日も、何かヒントはないかと足を動かす。

焦りが毎日襲ってくる。

 

まだ若いんだから何でもできる。と言う人もいる。

もう周回遅れだよ。そういう人もいる。

 

どっちも正しい。

でも、どっちかというと後者のほうが、ぼくは思うところがある。

 

これから迎える30代で、先の夜を越えてでも、自分に誇れるものがなければ

それは、どんなにか寂しいものだろうか。

40を迎えたときにもしそれが無かったら、死んだほうがマシだ。

 

 

焦りを消してくれるのは、自信でしかない。

自信をくれるのは、結果でしかない。結果を出すためには、今頑張るしかない。

 

 

 

 

それを知っている先輩は、いつもこう言う。

 

「もっと頑張れよ、見てるから」

 

尊敬するその人のその言葉は、何よりも重い。

 

 

 

 

 

 

 

友人たちもこの年になると、人生の節目を迎えている。

結婚、出産、マイホーム。

転職、企業、独立。

形は様々だが、踏み出す時期なんだろう、この30前の数年は。

 

羨ましいとか、そういうわけじゃない。

ぼくもそれなりに結婚は早かったし、離婚しているし、独立も少々早めで、急ぎ足で人生が動いている側だと思う。

 

でも、酒を飲んで語らった帰り、家まで2時間かけて歩いて帰った。

冬の冷たい夜の風に吹かれなければ、やり切れなかった。

 

ぼくに誇れるものはあるのだろうか。

あいつは、ぼくの何歩先を言っているんだろう。

 

ぼくはなんだ。

ぼくにあるものはなんだろう。

分からない。

この差はなんなんだろう。差、ではないのかもしれない。でもこの違いはなんなんだろう。

素直に彼らの栄転や家族の報告は嬉しい。心から祝っているはずなのに、自分の心のざわつきを抑えられない。

 

涙が溢れてはこぼれていった。

何しているんだろう、自分は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢中で仕事と向き合う。

今までにない規模の仕事。ふつうに生きていたら出会うはずのない出会い。

自分は何者だ。その問いが見えるんじゃないか。

一昨日も見えない。昨日も見えない。でも、今日見えてくるかもしれない。明日、見えるかもしれない。1年後。10年後。

そんな一縷の望みのためだけに、寝ずにとにかく考える。この仕事で、やれた、ということをとにかく増やす。

明日やろう。いや、今日やる。明日はその先のことをやる。

私がやるよ。いや、ぼくがやります。そしたらことが進んで、もっとやらせてもらえることが増えるかもしれない。

 

明日死ぬかもしれない。そんなもう誰も本気で思ってやしないだろう聞き飽きたアツいセリフを今ぼくは本気で心配している。

もう今日死んでも良いと思っているか。それだけやったか。そんなことは、死んでも思えない。

絶対後悔する。心配で寝られない。だから寝ずにやる。

 

 

 

その一言を捻り出す。あらゆる人にとっての拠り所となる言葉を、名前を、空間を、全てをつくりだす。

そのために今できることを、今すべてやる毎日でしか、得られないものがきっとある。

がんばってなんかいない。まだゲンコツが握れるならば、それはまだやれるということ。

悔しくて泣けるっていうのは、まだ体力が残っているということ。

その最後のひと押しが、変え難い、確固たる何かにつながることは、たいせつなものを失った辛さが物語っている。

だからこそ、また同じだけの自信を得ることは相当に難しいことも知っている。

 

 

誇れるもののない、恥ずかしさみたいなものは、死にたいと思うのには充分な理由だ。

消えてしまいたい。それは、生きる活力だ。何にも変えられない、強力な燃料だ。

 

 

 

 

 

みんなお前に言うじゃんか、寝ろって

 

はい

 

でも、俺は敢えて言わないよ、もっとがんばれ

 

はい、ありがとうございます

 

がんばれよ

 

 

 

 

 

 

 

夢なんてものは、手元になくちゃ意味がないのだ。

 

 

そこにあると思えるから、追いかけられる。

夢を思い描き続けるということは、とても大切だと思う。

 

 

眠たいというよりも、もはや気怠い、気持ち悪い。そんな中で重い瞼をこじ開け、窓から見えてくる早朝の空。

 

 

 

手を伸ばせば、届きそうだ。

太陽が近い。

冬。澄んだ空気。

 

届いているんじゃないか。

起きてみたら、変わっている自分がいるんじゃなかろうか。

 

そんな幻想が、毎日、空を、太陽を近く見せる。

徐々に明るさに慣れて明確になってきた視界から、ぎゅんと世界は唐突に遠ざかっていく。

 

 

また昨日と変わらない、遠い世界が眼前に広がる。

 

 

 

 

翼を授けてくれ。

そう思いながら寝起き一番にすがる思いでそれを口に流し込む。

顔を冷水で洗う。メガネをかける。色々な意味で、世界が鮮明になる。

 

どうしようもない不安を忘れるように、PCを開いて昨日の自分の続きを今日もやり続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事はどうですの

 

 

先輩がPC越しに声を掛けてきた。この声色、たぶんニヤニヤしている。

 

 

見ての通りっす

 

 

そっか、絶好調だ

 

 

え、なんでそうなるんですの

 

 

越え時だな、倒れるまでやってみろよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある意味シンプルな生き方なのかもしれない。

 

ぶっ倒れるまでやってみる。

それでだめだったら、もう死んでも良い。

そのらいの生き方をしているか。

 

ぼくが自信を持てるとしたら、きっとそのときなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの太陽の気怠い眩しさも痛い腰も、もはや味もしないレッドブルも、

あの帰り道の風の刺すような冷たさも、銭湯で汗と一緒に流れた涙も。

 

ぜんぶ、すべてはそのためなのである。

 

 

 

 

 

私以外、私じゃないの

 

新年。

嬉しいことにバタバタと仕事をさせて頂いていて

徹夜明け朝6時半、スタバにて今この文章を書いている。

 

 

 

 

 

 

ゆったりとした時間が流れる。

テーブルを2つ空けて隣りで、おそらくこの時間の常連の白人のおじいさんが本を読んでいる。

時折マグカップに手を伸ばしカフェラテを啜る音が、ふたりしかいない店内に心地よく響く。

 

1年を通して、この新年の数日だけだろう。

世界中が、ゆったりとときを刻む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい1年がはじまった。

 

 

 

 

好きな人と飲んで、銭湯でくだらない話をして笑う。

最近のいちばんの幸せだ。年が変わっても、人は変わらない。今晩も行くんだろう。

 

少しの甘さで、珈琲は充分美味しくなる。

きっと、こういうことは、このくらいで充分だ。

 

 

 

 

 

 一人前でいなければ、とか、支えなきゃ、とか

そういう感情から開放されて、今ぼくはようやくひとりでやりたいことを見つけた。

というか、それをやろうと決めた。やりたいことにしたい、という方が正しいか。

どっちでも良いのだ。

 

いずれにせよ、そこに腹を決められたことはぼくにとってとても大きいイベントだった。

それでも、1年というのはあっという間にに過ぎ去っていった。

この1年も、きっとそうなんだろう。

本当に、今年は立ち止まっている時間なんて全く無い。

 

 

 

 

漫画「バンビーノ」で、伴がこんなことを思う瞬間がある。

 

 

まだまだ落ち着くには早い。

一人前じゃなくて良い、半人前でも良いから、できることを増やしていこう。

 

 

 

自分も、何か、ふとそう感じた瞬間があった。

 

 

 

 

 

 

 

なに、あんた恵比寿になんて住んでるの、ばかだね

あれだ、自分探しだ、そういうのほんときらい、はは

 

 

 

 

 

元職場で一緒だったデザイナーの姐さんと久しぶりに会ったら、楽しそうに笑い飛ばされた。

 

 

 

 

 

あたしも昔仕事やめてカナダ行ったよ、自分探しに

なんにも無かったけどね、あたしは今も昔も川崎よ

 

あんたもさ、恵比寿になんて酒とゲロしかないんだから

ええとね、あれじゃない、このあたりじゃないの、赤羽よ

あんたはそこらへんに転がってるのよ、ははは

 

 

背伸びしたってね、見えないもんは見えないから

いや、背伸びしたって良いのよ、でもね

そんなんで自信なくす必要なくてね

あんたが仕事できないときも、できるようになってからも

あたしはあんたのこととっても好きよ

 

 

バツイチ、アラサーなんていうのはとても褒められたことではないけれどね

そんなこと、どうでも良いのよ、あたしにとっては、ね

きっと、他の人もそうよ、どうでも良いのよ、あんた以外の人にとっては

 

もっともっとがんばんなさい

もっといい人たくさんいるわよ、あ、もちろん奥さんがどうって話じゃなくてね

目の前のこと必死にやって楽しむのよ、そうしてまたこうやって赤羽で飲むのよ

 

 

 

 

そっすね

 

 

 

そうよ、若人、がんばりなさい

 

 

うっす

 

 

 

じぶんは赤羽にあった。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

気の知れた友人が、ぼくのことを自由人だと言っていた。

その感覚にすごく違和感を感じたじぶんがいた。

 

 

 

ああ、そんなに自分のこと縛っていたんだな、勝手に。

なにをそんなに縮こまっていたのだ。

 

 

 

 

もっと格好悪く、格好良いことを言い続けて

言っちゃったことを必死こいて実現させていくような

そういうじぶんのほうがきっと、じぶんっぽいんだろう。

そういうじぶんのほうが、ぼくは好きだ。

 

 

 

というわけで、ライスワークを捨てた。

残るはライフワークのみ。新年早々、ヒヤヒヤである。

収入は大幅に減った。でもそれで良いのだ。

飯が食えないかもしれない。

この年になってそんなことやるの?

せっかく積み上げてきたのになぜそんなことするの?

確かにそうだと思う。

でも、それじゃ面白くない。

何者かになりたい。

それでなきゃ、じぶんじゃないのだ。

 

 

 

憧れる人達がいる。

業界の大御所さんもそう、良くしてくれる先輩もそう。

なぜかぼくは、心から人に恵まれている。

こんなじぶんに気を掛けてくれている人がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

感謝しなさいよ

 

 

 

 

 

 

この前実家に帰り、キッチンで一緒に夕飯をつくりながら母と話していたとき

ふと母が真面目な口調でそう言った

 

 

 

あんたは本当に人に恵まれていると思うよ

 

そうだよね

 

そうよ、本当に

 

ありがたいよね

 

そうよ

 

うん

 

 

 

 

 

 

 

 

お前がやりたいことをやれば良いんだよ

 

 

 

 

そう父は酔っ払って言った。

 

俺なんて周りに流されて流されて、こんな大人になっちまったからな

 

お母さん見てみろ

 

ああいう、言いたいことを言いたいときに言える、自分の発言に100%責任を終える

自分に一本軸のある立派な大人になれよ、俺みたいにはなるな

 

 

親父も立派だと思うけどなあ、子ども三人育てて

 

 

いや、俺は母さんが家にいたから安心して働けていただけだ

母さんが全部やりくりしてくれたんだからな

 

そうかあ

 

そうだよ、そりゃあ

 

でもお前はちょっとひとりでやりすぎだ

もっと頼れ、連絡しろよちゃんと、何かあったら

 

うん

 

 

 

 

 

祖父からも、叔母からも、姉からも、弟からも

昔の音楽仲間からも、地元の友人からも、大学の友人からも、野球部の仲間からも。

 

 

 

同じことを言われた。

ぼくのことは、みんなのほうが良く分かっている。

 

 

 

 

 

 

 

思えば最悪な1年だった。

だけど、最悪も悪くないと思えた1年だった。

 

 

 

まだまだやれる。

ここからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母はすっかりボケてしまっている。

 

 

ここ最近のことはすぐ忘れてしまう。

ぼくがトイレに行って戻ってくると「ああ、いらっしゃい」とか言うときもある。

だけど、結婚式のことは覚えている。

うまくやってる?とか聞かれる。

 

 

大丈夫だよ

 

 

ちょっと心苦しい。

 

 

 

 

 

 

あの子、本当に可愛いわよねえ、しあわせものよ、本当に

 

そうだね、本当にそう思う

 

 

 

これは、本当だ。

 

 

 

よろしく伝えてね

 

うん、分かった

 

 

 

 

2019年、がんばるのだ。

どこまでやれるかは分からない。

できるだけ、やる。

 

 

 

 

 

 

大変な1年になるんだろう。今から怖い。

 

 

だけど、こうでないと。

全部やるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

店内に客が増えてきた。

もう7時半だ。

 

 

新しい1日がはじまる。

 

新しい1年が、はじまる。

 

 

 

新しい人生が、はじまるのだ。

 

 

 

 

 

Night Swimming

 

大通りから1本入った、人気のない目黒川沿いの道。深夜0時。

AirPodsからはNao Kawamuraの「Sleep your dream」が流れている。

 

家からジムへと自転車を走らせる。約10分。

本当は家のもっと近くにジムがあるのだが、そこではなくここにした理由は、深夜ひとが少ないことと、近くに深夜まで営業しているスターバックスがあるからだ。

 

 

ジムに行かないと筋トレをしないということ自体がもはや怠惰だと、どこかの居酒屋で会ったおじさんが言っていた。

そのおじさんは家の近くの公園で鍛えているらしい。

流石だと思って聞いていると、公園まで車で行っているらしい。

世の中そんなもんである。

 

 

 

体を鍛える理由は、完全に暇つぶしである。

ボーッとしていたくないから。ただそれだけである。

 

 

場所柄、気合の入ったスポーツウェアでガシガシ運動しているお姉さんやお兄さんがたが多い中、ジム着も、いただきもののNIKEのTシャツと、もう15年ものくらいのテロテロのバスパンである。テロテロというより、ペラペラ、いや、ヘラヘラである。

定年を迎えそうなおっさんレベルの見た目への無頓着さで、粛々とイヤホンでラジオを流しながらただひたすらに体をいじめ抜く。悲鳴をあげる体と荒くなる息遣いと裏腹に、頭は空っぽになる。

 

 

今後のこと。

議題でいえばそれだけなのだが、空っぽの頭の中で実に色々なことを考える。

目の前にあるお姉さんのケツを見つめつつ、失礼ながらそんなものは目もくれず、いや、実際目はだいぶくれているのだが

美尻予備軍の皆様には失礼ながら、実際頭の中はこの先やりたいことを必死で考え続けている。

議題の答えは、未だに出ない。

 

仕方がないから大胸筋を鍛えている。

不動産を持っておくか大胸筋を鍛えておけば、将来食いっぱぐれないらしい。

これも大井町の居酒屋でエグザイルみたいなお兄さんが言っていた。

痩せ型からすれば世知辛い世の中だ。

 

 

それでも、ジムで汗を流す時間は、ぼくにとって大切な時間になっている。

ただただ何かをやっている時間は大切だ。

 

 

今チェストプレスを代わった女性が、ぼくのウェイトに更に上乗せしてガシガシ持ち上げている。

さっきまでそれのマイナス10キロでヒイヒイ言っていた自分。まだまだである。

こういうとき、頑張って追いつこうと思う。この気持は将来への希望である。

 

 

 

 

 

 

 

ジムが深夜の1時過ぎに終わる。

そこから、1日の振り返りが始まる。

TSUTAYAスターバックスというのは本当に便利だ。夜深くまでやっている。

ここでも、考えるのは先のことである。

やろうやろうと思って、仕事を言い訳にしてやってこなかったことを最近出してみたら、4つしか無かった。

完全につまらない人である。自分で自分にドン引きした。4つって。

どうせならスティーブ・ジョブズみたいに3つの方が良かったとか思ったりする。

 

 

 

 

運転免許。

体をケアする。

無趣味なので趣味を作る。

欲しいものリストのものを買う。

 

 

 

 

 

旅行とか、そういうものが思い浮かべば良かったのだが

生憎、「今」行きたいところがあまりない。

スーツケースも旅行用バックパックも、旅に使う備品はすべて処分してしまった。

 

 

 

次旅に出るときは、ひとり旅にしようと思う。

思い出を共有する人がいることが、実はいちばんつらいことだとぼくは知っている。

同時に、それがいちばんしあわせなことも知っているし、またそうなりたいとも痛いほど思っていることも、ぼくは知っている。だからこそ、今はひとりが良い。

 

 

 

とりあえず、早速教習所に問い合わせてみた。

歯の矯正を始めた。ボディメンテを予約した。

趣味になりそうなものの体験を一通り予約した。

欲しいものリストの中で、上から適当にいくつか思い切ってポチッと購入した。

ただひたすら飲みにお金を使ったこの数ヶ月に比べたら、いくらか有意義なお金を使った気がする。

 

 

 

ここまでとりあえず行動を起こしてみたら、他にもやりたいことが浮かんできた。

やはり、寝ていないで外に出てみることは大切である。

 

 

 

ディズニーに行きたい。

USJに行きたい。

なんとも、我ながらかわいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前はさ、結局なにがやりたいの」

 

 

 

 

 

その人は、いつも決まってそう言った。

その問いかけに、ぼくはいつも答えられずにいた。

 

 

お前は、いつもひとのことばっかりだな

お前は何がしたいのか聞いてるんだよ

 

 

そのときは、なぜひとのために何かすることがいけないのか、とぶつかったりもした。

でも、今その人がいわんとしていたことが痛いほどよく分かる。

 

 

 

じぶんが生きられるのは、じぶんの人生だけなのだ。

誰かのためにじぶんの人生を使うことは、一聞良いことのように思えるが、

実際のところ、他人への責任転嫁に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

カラッカラになってみな

何か見えるから

 

Less is More っていうでしょ

あれはホントだよ

 

金がないでしょ

でも家にいたってなんにも変わらないんだよ 

 

 

だから、とにかく歩いてみる。歩いてみると、何かにぶつかる。

そこで何を選ぶか、どこを選ぶか、その連続の中で、じぶんのやるべきことが見えてくる。

 

 

 

 

と、いうわけで、ぼくは歩いている。

案の定、というと失礼だが、何も見えてこない。

 

 

肌寒い季節になってきた。

パーカーを着て出歩いていると、この街の特質上、スーツの方やキチッとした格好の人とすれ違う。

どう思われているのか分からない。どう思われているのか知りたい。

じぶんは何も変わっていないんじゃないかと、不安になる。

環境が変わり、新たな人生が始まった今、特にこの思いが胸をちくりと刺す。

そんな思いから逃げるように、ぼくはまた歩く。

何も変わっていない。その事実と向き合うことが怖い。

でも向き合わなければ前に進めない。

 

 

 

自転車を走らせる時間がとても好きだ。

目的地は特に無い。漕げば進む自転車の仕組み。

自転車はありがたいことにひと漕ぎごとに成功体験を与えてくれる素晴らしい乗り物だ。

 

 

 

 

 

 

 

教習所で、仕事以外では久々にこっぴどく叱られている。

技能のマニュアル運転はかなり難しい。

特にぼくのような理解の遅いコツコツタイプは仕組みが分かるまで時間がかかる。

クラッチペダルとブレーキペダルのタイミングが掴めない。程よいブレーキの押し込みの感覚が分からない。

 

 

教習の最後、まぁ、と頭を抱えながらおばさん教習官が「慣れだから、さ」と言った。まぁ、とそのあとの言葉の間に体感では10秒くらい間があった。恐怖である。

 

 

でも、それもまた良い経験である。

おとなになってこんなに叱られることもないから、意外とこの年になって免許を取るというのは良いことかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの共有スペースで、蔦屋から帰った深夜、

仕事をしているインド人のエンジニアの人と夜食を食べながら話していた。

 

 

その人は会社員だが、スーパーフレックスで、週にPCに40時間ログインしていれば勤怠上は問題ないそうだ。

この時間に仕事をしているなんてすごいね、と感心したが、君こそ昨日この時間ここで仕事していたよ、と突っ込まれた。

24時間以内の記憶が無い。なかなかである。ただ、自分がやっていることにも関わらずひとのそれに感動できるのは得である、ということでこの脈絡のない締まらぬ駄文をそろそろ締めたい。そろそろトイレに行きたいのだ。肛門も締まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、世の中は平和だし、ぼくがどんな状態だろうと世の中にはこれっぽっちも影響がない。

それはきっとしあわせなことだし、意外とぼくは自由だし、これからもきっと見えていない希望はあるんだろう。

 

 

 

 

あとどれくらい、じぶんがひとりであることに気づいて落ち込むのかは見当もつかないが

それなりにまだ楽しいことはきっとあって、きっとそれを楽しめるじぶんが戻ってくるんだと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かに没頭するとき、じぶんを大きく突き動かすのは何なんだろう。

この問いに対する個人的な答えは、何かから必死で逃げたいときだと思う。

 

 

ぼくはすべての自信を無くした、何者でも無くなりそうな自分をーいや、もう分かっているー

何者でも無いじぶんから逃げることに必死だ。

 

 

 

お前は、いつもひとのことばっかりだな

 

 

 

小骨のように、胸に刺ささったまま取れないこのことばが、ぼくを今日もこの街に誘う。

酒でいくら押し流しても、奥の方でぶらぶら引っかかったままだ。

 

 

じぶん、とは何なのだ。一体。

 

 

AirPodsからはNao Kawamuraの「Night Swimming」が流れている。

レーニング後というのもあってか、この曲の通り、気だるいような、夢みたいなふわふわした感覚の中、

深夜特有のピリッとした寒さが、いよいよ本格的な冬の始まりを予感させた。